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カテゴリー「BADツアー来日'87」の記事一覧

25年前の今日@JAPAN - '87.10.19

10月19日(月)
きょうは、41日間滞在した日本から発つ日


朝7時すぎ、『キャピトル東急ホテル』 からバンに乗って出てきたマイケルは
プレゼントを持ってキャピ前に集結していた約150人のファンに、
サンルーフから身を乗り出して手を振ったりして声援に応える。

ファン達は泣きじゃくりながら絶叫。



そのバンを追いかけるタクシーは、連なること40台!
行き先は、成田空港こと 『新東京国際空港』



千葉県警の新東京空港署は空港サテライト等に署員を配置し、
パニックを未然に防ぐべく 厳戒態勢

新東京国際空港公団検問を強化し、
マイケルの見送りのために来るファン達の空港への入場をシャットアウト。

が しかし、カンが鍛えられているファンは、どうにでも入りこみのの。



9時30分ごろ空港に到着したマイケルは、タクってきたファン達に手を振ってお別れをし、
混乱を避けるため 出発ロビーを通らず税関に直接入り、出国手続き。
いっぽうファン達は踵を返し、見学者用の空港ターミナルの屋上デッキへとダッシュ!



25番ゲートのある 北ウィング出発サテライトでボディガードら6人を引き連れつつ、
居合わせた旅行客に握手をしながら歩くマイケル。
他の旅行客らもマイケルをひとめ見ようと搭乗を少し遅らせたりと、最後までフィーバー。

取り囲む約70人の取材陣に対しても右手を上げ、
来日以来ずっと変わらない にこやかな笑顔をふりまきながら

 「Have a Nice Day!」




搭乗直前には、マイケル自身の申し入れで直接コメントを寄せた。
パトリックさんの持つマイクに、

 「日本を遠ざかるのは非常にさみしい。
 でもこんなに素晴らしいファンに囲まれて発つことが出来、とても嬉しい。
 また再び日本に戻ってくることをお約束します。
 どうもいろいろと有難うございました」




親指を立ててGoodサインをして見せたり、そして何度も何度も大きく手を振り
やがてゲートに吸い込まれていったマイケル…。



10時22分、マイケルを乗せたJAL731便香港へ向けて飛び立ち、
屋上デッキに100人以上集まったファン達は、マイケルの名を口々に泣き叫びながら
飛行機が完全に見えなくなっても見送り続けた。





思えば来日前、日本のメディアが伝えてきた風評は、奇人変人ぶりを示すものばかりだった。

しかし、彼らは日を追うごとに
マイケル・ジャクソンの実像と実態を否応なしにひもといてゆく事となる。

ずっと密着してきた日本テレビ取材班による総評は、
 「ナイーブすぎる普通の少年と天才エンターテイナーとが同居している」


<いちばん言われていたウワサは 「極端な人ぎらい」>


プロカメラマンですら写真がブレてしまうほどの、キレのあるダンス。
ホテルのベッドルームをダンスフロアに改造させ、日々たゆまぬ努力を重ねるプロ中のプロ

ステージ以外の練習は決して人に見せなかったマイケルが日本を去った後、
日本テレビのSディレクターが初めてベッドルームに入り そのダンスフロアを見ると、
 「掃除をしても消えない汗の跡がすさまじかった」



かと思うと、銀座の博品館トイパークでは "さくらさくら" のメロディーを口ずさみ
 「日本人って優しい声で話すんだよね」
と語るマイケルは "日本の心" を深く気に入っていたようだ、とSディレクター。

さらに、
 「あそこまで純な良心を持ち続けられる人間はいない。
 純粋な分だけ (周りから) 変な伝説が生まれたのだろう」





マイケルは、キャピトル東急ホテルの自分の部屋で打合せに使っていた小さな黒板に
赤いチョークでメッセージを残していった。

 【MAKE LOVE YOUR WEAPON TO OVERCOME ANY EVIL】
 
- 愛に打ち勝つにはあなたの愛しかない -





こうして41日間にわたる 『マイケル旋風』 は去ったのだった…

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25年前の今日@JAPAN - '87.10.18

10月18日(日)

きょうは、台風一過の秋晴れ。
栃木の日光へ観光に行く計画もあったものの
往復にかかる時間を考えて夕方からの予定を優先し、けっきょく中止に。


その "夕方からの予定" ×2本は、8月にマイケル側がかけた1本の電話に始まる。
かけた相手は 『日本ユネスコ協会連盟・事務局』

 「日本での初公演にあたり、ユネスコの運動に協力したいとマイケルが言っている」

マイケルの肖像入りゴールド・メダル発行の許諾。
マイケル愛用品提供によるチャリティ・オークション
それらにかかる収益金全額寄付の申し出だったという。



まず17時すぎに 田中貴金属直営店の 『銀座山崎』へ。
(※S崎Nーナさんの本では "午前中" となってますが誤りですね)

茶釜や扇などをかたどった金製品を、マイケルは約30分かけて見学。




そして本題の、"マイケル金貨" の打合せ。




マイケルの顔をレリーフにした金貨は、クルーガー金貨よりやや小ぶりサイズにして
'88年早々2~3万円3千枚限定にて販売予定

…とは、この日時点での話。


 “このゴールド・マイケル・コインメダルは、
 '87年12月15日に2万2千円で発売。
 7千枚があっという間に完売”


と S崎Nーナさんの本に書かれているけど、私これ、知らないなぁ…


'88年12月、2度目のBADツアー来日にからめるカタチで、金貨のみならず
純プラチナ2種・純金1種・純銀1種の計4種類を発売したのは、がっつり知ってるけども。
価格は、4,700円~25万円


'87年の金貨も、予定どおり販売されたの?
ホントに??

'87版のリーフレット画像はあれど、ドラフトに過ぎん可能性も…
(疑い深い?ww
 
<左: '87年版 / 右: '88年版の表紙>


'88版のリーフレットには
 「表面のマイケルの横顔は、マイケル自身が多くの写真の中から選択したものです」
という解説が載ってるけど、実際はテケトーにS崎Nーナさんが選んだっつーことは
著書で自白されとりますナww



話を戻すと、銀座山崎サイドから金兜を贈呈されのの。




で、いったんキャピに帰着。



次に、20時30分から始まる記者会見のため 『渋谷パルコ PART1』 7階にある
イタリアンレストラン 『ダル・ポロニェーゼ』 へ。

これは、国連が定めた'89年の国際識字年にちなんで日本ユネスコ協会連盟が30日に主催する
チャリティオークション 【マイケル・ジャクソン&ユネスコ・コ-アクション】 の発表会見。
同協会が人気スターの協力で行なうオークションは、ジャッキー・チェンに次いで2回目となる。


サングラス,サイン入りTシャツ,ジャンパー,コットンシャツ,ステージで使用したマントや 枕元に並べて大切にしていたという高さ約5cmの "7人の小人" の人形,1人欠けている代わりにキリンの人形が1つ。
これら私物を含む約20点(※その時点)を、尾花事務局長に寄贈。



主催者からは感謝状&花束&ピカソ生誕100年記念の銀の棒タイ(ミロ制作)を贈られ、
マイケルは報道陣のカメラに向かって笑顔&敬礼。(カワイイ…

壁に貼られていた 世界の子供たちを描いたポスターを目ざとく見つけて無事1枚ゲット
マイケルはそれを手に 約30分で会場をあとにした。

帰り際は、バンからお手振りをしたために ファン達が公園通りを走ってバンを追っかけ。
日本最後の夜にもマイケルパニックを引き起こしたのでした。



ちなみに寄贈品は、10月20日~29日は 『パルコ PART1』 1階のショーウィンドウに展示
30日に 『パルコ PART3』 でチャリティーオークションが行なわれた。

オークションには、ハガキ応募者1,140名からの抽選で244名が全国から参加。
 「青いコーデュロイのシャツに ほのかな香水のかおりがする」
と発表されるや、大歓声でシャツに駆け寄る熱狂ぶり。

その香水シャツ20万円で落札され、
マイケルが日本公演用に購入したという黒い帽子13万円サイン入りタオル7万円等。
2千万円で業者が買うと噂された目玉のサイン入りウィンドブレーカーは、結局25万円
競り人がストップをかけなければもっと高値がついたはず、だってよww



約45分間でオークションは終了。
最終的にマイケルが寄贈した計34点の落札総額は約274万5千円
すべて日本ユネスコ協会連盟の識字教育活動に充てられ、発展途上国へ送られた。



発表会見の3日前、三浦半島を走る車中で尾花事務局長はマイケルに質問してみたそう。
 「日本には海外の途上国支援をしているNGOがたくさんあるのに、
 あなたはなぜ寄付先に民間ユネスコを選んで下さったのですか?」


マイケルは微笑みながら、ようやく聞き取れるほどの小さな声で
 「ユネスコの支援活動が "コーアクション" だからです。
 その理念に共感したから。
 上からモノを与える "ギフト" ではなく、ともに行動し ともに学んでいく。
 その精神が大切だと思うから」




この後もマイケルは、【訪日記念メダル】 の収益などを含め 約1千万円を日本ユニセフに寄付。
これを元手に 『ユネスコ世界寺子屋運動』 が立ち上がったそうで、
まる20年経った2009年の段階で 43ヶ国1地域の約124万人に学ぶ機会を提供できたという。


何の見返りも要求せず 基金にマイケルの名を冠することすら拒み
ただ、基金の使途について
 「学ぶ機会に恵まれない 途上国の子供たちのために」
の言葉を残し、マイケルは日本をあとにしたのだそう。



25年前の今日@JAPAN - '87.10.17

10月17日(土)
きょうは、台風19号による強風の中、仕事にも遊びにも精を出すマイケルだった。


13時すぎに 『CBSソニー六本木スタジオ』へ。
老舗ライブハウス『PIT INN』と同じ建物 (ある程度の世代はワカルと思うw)で、5階がスタジオ。

スタジオはA,Bと2つあり、話や情況を複合させるとAスタジオ使用でキマリ☆





<Aスタジオ内のブースから臨んだ出入口方面>



ここで行なうのは、リリース日が翌月に迫まっている "The Way You Make Me Feel" の、
ショートフィルム用の雄叫び&掛け声の追加レコーディング。


中に入るや マイケルは、スタジオとコントロールルームの両方をパッと見て
 「うん、これなら大丈夫」

そしてコントロール・ルームで約15分間、
TWYMMFの12インチver.で音をチェック




<コントロールルーム>



それが済んでスタジオに入ったマイケルは、そこにあるグランドピアノを弾きながら
「アー♪」 とか自作自演でボイストレーニング



<コントロールルームから臨むAスタジオのピアノ>


<これは約7年後のHISレコーディング時のだけど参考イメージ>



 「ピアノはなかなかの腕前。けっこう上手い」
と語るCBSソニーの清水氏は、
いったい誰がこの場を仕切るのだろうと心配していたそう。
信濃町で "Get It" 録りをした時と違い、クインシーはもう帰国して不在のレコーディング…。


が しかし、マイケルの "お仕事モード" を目の当たりにし、その懸念は吹っ飛ぶのでした。



ボイトレが済むとマイケルは、フィルムが観やすいようライトを落とさせて全体を暗くし、
ピンスポットを少し当てさせのの。

手順を問われると
 「I'll "Cue" You」
そして
 「フィルム後半のここからここの間に音を入れるから」
と説明し、ぴしっと 手でQサイン。 (かっちょえーー (≧∀≦)





今のテイクはOKとかNGとか もう1回とかもテキパキ指示し、全てをマイケルが自分でやるという
完全なセルフ・プロデュースだったそう。

これがもぉ、それはそれはすごく凛々しかったとな。
すごく。 (強調@清水氏



雄叫びを1層1層RECってる理由が解らないスタジオスタッフの目には
このレコーディングはとても奇異に映ったようで。
(ワタシ一生言うわよww


<日本でのTWYMMFキャッチコピー>
"新たな奇跡に向かってベストセラーを続ける 『BAD』からの第3弾ヒット!"




15時30分ごろ レコーディングを終え、キャピに帰着。



そして 17時すぎ、再びキャピを出て 東京・稲城の 『よみうりランド』 へ。

水族館を観たり、ジェットコースター,観覧車,ロックンロールなどの乗り物を
約1時間楽しんでいった。

 

25年前の今日@JAPAN - '87.10.16

10月16日(金)

きょうは、台風16号の接近で どんよりした曇り空の中
イラストレーター・アニメーターの いのまたむつみ先生をキャピの部屋にお招き。


ことの成り行きは、
 『宇宙皇子』の画集 を、京都の書店で見つけたマイケルが
 むつみ先生にラブコール

…と アニメ誌でのちに紹介され Wikiにも書かれてるけども、
マイケルは京都に足を踏み入れていない事はご周知のとおり。
なので
ソレは聞き違いか言い違いか、とにかく事実面でいえば誤りゆえ いちおうネット上に是正を記録





むつみ先生を招き入れると、マイケルは引き出しから 『宇宙皇子』の画集を取り出してニッコリ。
マイケル “が” サインを欲しがるという超貴重シーンのご体験をw




 「イラスト集のどんなところに魅かれましたか?」
と訊くむつみ先生に対し、
 「色の使い方が新鮮です。一体どうやって描いているのですか?」
と、質問がえしをしたマイケルは、
 「僕のイラストを描いてほしい」
という望みもその場で果たすのでありました。

  



むつみ先生はその日1日ボーッとしてしまったそう。
後日も
 「なんだか、あまりにステキな方だったので、あの日の記憶が欠落しているんですよ。
 他の人に言われてようやく思い出すんですよね」






20時ごろ、六本木のミュージックストア 『WAVE』(※)へ。
 (※いま六本木ヒルズのメトロハットが建ってる場所に'99年まであった)



MOTOWNが過去のLPアルバム2枚分をCDアルバム1枚に収めたシリーズを出しているのを見て
 「良いアイデアだね」
と 数枚を購入していたマイケルに、同行していたCBSソニー清水氏が
 「J5のは買わないの?」

すると、笑って
 「買っても僕にはお金が入って来ないんだ」


もちろんジョークで言ったんでしょうけど、事実でもありのの。



ところで


本当はあす17日にLAへ帰国予定だったけども、
カゼによる公演延期で日程が2日ズレ込んだため 19日に離日となった。

ただし
 「もういっそ、日本から近い香港へ行ってゆっくり休養しては?」
とのスタッフの意見をマイケルが採用、LAへは帰らずに香港へ向かうことがこの日、明らかになった。

香港は、もともと日本の次に公演が予定されていた場所で、スタッフの下見も終わっていた。

マイケルは
 「日本は大好きだけど、出来ればファンに追っかけられずにゆっくりしたい」
と語っていて、香港では日本公演の疲れを癒すため のんびり休養の予定。

25年前の今日@JAPAN - '87.10.15

10月15日(木)

きょうは、冷たい秋雨が降りしきる肌寒い1日。
そして‥‥
私の推測では、例のセーラーズのヨシアキ君ジャンパーを受け取った日、だと思う。



<キャピのマイケル担当S氏と>


本当は大阪公演で着たかったそうだけど、発注がドタンバ過ぎて制作日程的にもムリで
けっきょく東京でキャピの部屋に招かれ、13時前に会って渡した

…という旨を、社長さんがインタビューで語ってらっしゃいますよね。

すると、昨日 or 今日でしかないわけで。
写真や何やでイロイロと吟味した結果、十中八九 今日でキマリ☆


その日その時から離日まで、ずーーっと着っぱ。


以降は中国で1回着たのが確認されてるけども、次にお目見えしたのは3年半のち。
トートツにマドンナとのデートに着てったインパクトたるや!

 
きっと日本でもデート報道されるだろうという事で
事件未解決を気に留めての再アピールかな?



このジャンパーを受け取った場で着用、そのまますぐにお出掛け。


14時30分、横須賀にある 『日産自動車 追浜工場』へ、
スタッフ5人日本ユネスコ協会連盟の関係者3人とともに 計9人で訪問。

 「自動車工場のロボットを使った生産システムを見学したい」
というマイケルの希望が実現したもので、これが人生初の自動車工場見学。
この追浜工場は、日産自動車で最も自動化が進んでいる工場という事で選ばれた。


工場敷地内にあるPRセンターでは、女性従業員約50人が拍手と嬌声でお出迎え。
来訪記念に、フルモデルチェンジしたてのブルーバードSSSアテーサを贈呈され
セレモニー用の巨大なゴールドキーを手渡されたマイケルは、車を見て
 「Nice!」
 「Pretty!」






試乗を勧められると、後ろのドアを開けて後部座席にちょこんと座ったそうwwww
周りからツッコまれると、
 「運転の仕方がわからないんだ」。 (ウソつけおまいー 真顔でド天然が出ただけっしょw
テレ笑いしつつ運転席に移動し、慣れない右ハンドルのステアリングを握ってエアドライブ☆

ちなみに車の現物は、アメリカで渡される手筈に。


また、工場の従業員約7千人が出し合った20万円が、
ユネスコの文盲撲滅運動に協力しているマイケルを通して 日本ユネスコに寄付された。


そのあと工場長の案内で車の製造工程40分ほど見学。

プレス,車体組立,検査工場を見てまわったマイケルは
特に、車体が天井から下りてきてのロボットによる組立工程に食いつき、
 「Whew!」 「ローラーコースターみたいだ!」
と、テンションMAX。 (ガジェット好きにはたまらんわな)



車体組立最終ラインで ガソリンと水を入れられた車を見て、感じ入ったように
 「ここで初めて車は息をするのか…」 (感性が違うよぬ

そして、オフラインしたばかりの白いブルーバードのボンネットに
“LOVE  Michael Jackson”とサイン。
サインや握手は、見学の最中も従業員の求めに対し、気軽にサービスまくり。


帰り際に
 「日産の歴史を書いた本が欲しい」
と言って 英文の会社概要を手にしたマイケルは 
 「素晴らしい日本に来て良かった。また必ず来たいですね」


そして 15時30分、追浜工場を退出。



そのままの足で三浦半島を横断、『葉山ホテル音羽ノ森』 へ。
1週間前に専属シェフになって戴いた 『音羽亭』の三條さん達つながりで、そのお礼がてらの訪問が
急きょ前夜に決まったとな。


<この年に建ったばかりのホテル>


その1階 『レストラン潮幸』 でディナー。
マイケルのだけはスケジュール通りのメニューをそこで作って出されたもの。

 豆腐ステーキ / アボカドのムース / スイカ / かっぱ巻 / エビアン・ペリエ

 


けっこう賑々しい食事風景だったようだけど、
A野ゆう子さんがいらっさる間は静かだったみたい。(そりゃそう

マイケルに自分の写真集と花束と、なぜか韓国製のツボをプレゼントしたA野さんいわく
 「最高です!」
 「私をカワイイと言ってくれました。歳がわからないんじゃないかなあ」
 「マイケルの魅力はセクシーなところ」


男性としてはどうか、と取材陣から訊かれ
 「そんなこと考えたこともない。失礼になりますよ」

マイケルからはお礼にサイン右頬へのキスをもらい、
 「LAに来た時は遊びに来て下さい」
と言われたそう。

 



レストランには 2時間ほど滞在し、
音羽ノ森が所有するロールスロイス20時ごろ キャピに送り届けられのの。


そのあと再び外出、銀座の 『イエナ洋書店』 へ。 (アクティブ…


 
<半月後、音羽の森オーナー宛にVIPチケット付で礼状をしたためた>
(お礼で訪れたのにさらにお礼って…しかも異国の地から… どんだけ義理堅いのだ)



【P.S.】
レストラン潮幸は、2年前に行った時 『マイケル・ジャクソン・コース』 があったけど
今はどうだかワカラナイ…
余裕をもった予約&交渉次第で作ってもらえるとは思う


  

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