10月18日(日)。
きょうは、台風一過の秋晴れ。
栃木の日光へ観光に行く計画もあったものの
往復にかかる時間を考えて夕方からの予定を優先し、けっきょく
中止に。
その "夕方からの予定" ×2本は、8月にマイケル側がかけた
1本の電話に始まる。
かけた相手は
『日本ユネスコ協会連盟・事務局』。
「日本での初公演にあたり、ユネスコの運動に協力したいとマイケルが言っている」。
マイケルの肖像入りゴールド・メダル発行の許諾。
マイケル愛用品提供によるチャリティ・オークション。
それらにかかる
収益金全額寄付の申し出だったという。
まず
17時すぎに 田中貴金属直営店の
『銀座山崎』へ。
(※S崎Nーナさんの本では "午前中" となってますが誤りですね)
茶釜や扇などをかたどった金製品を、マイケルは
約30分かけて見学。
そして本題の、
"マイケル金貨" の打合せ。
マイケルの顔をレリーフにした金貨は、クルーガー金貨よりやや小ぶりサイズにして
'88年早々に
2~3万円 で
3千枚限定にて販売予定
…とは、この日時点での話。
“このゴールド・マイケル・コインメダルは、
'87年12月15日に2万2千円で発売。
7千枚があっという間に完売”と S崎Nーナさんの本に書かれているけど、私これ、知らないなぁ…
'88年12月、2度目のBADツアー来日にからめるカタチで、金貨のみならず
純プラチナ2種・純金1種・純銀1種の計4種類を発売したのは、がっつり知ってるけども。
価格は、
4,700円~25万円。
'87年の金貨も、予定どおり販売されたの?
ホントに??
'87版のリーフレット画像はあれど、ドラフトに過ぎん可能性も…(疑い深い?ww
<左: '87年版 / 右: '88年版の表紙> '88版のリーフレットには
「表面のマイケルの横顔は、マイケル自身が多くの写真の中から選択したものです」という解説が載ってるけど、実際は
テケトーにS崎Nーナさんが選んだっつーことは
著書で自白されとりますナww
話を戻すと、銀座山崎サイドから
金兜を贈呈されのの。
で、いったんキャピに帰着。
次に、
20時30分から始まる記者会見のため
『渋谷パルコ PART1』 7階にある
イタリアンレストラン 『ダル・ポロニェーゼ』 へ。
これは、国連が定めた'89年の国際識字年にちなんで日本ユネスコ協会連盟が
30日に主催する
チャリティオークション
【マイケル・ジャクソン&ユネスコ・コ-アクション】 の発表会見。
同協会が人気スターの協力で行なうオークションは、
ジャッキー・チェンに次いで
2回目となる。
サングラス,サイン入りTシャツ,ジャンパー,コットンシャツ,ステージで使用したマントや 枕元に並べて大切にしていたという高さ約5cmの
"7人の小人" の人形,1人欠けている代わりに
キリンの人形が1つ。
これら私物を含む
約20点(※その時点)を、尾花事務局長に寄贈。
主催者からは
感謝状&花束&ピカソ生誕100年記念の銀の棒タイ(ミロ制作)を贈られ、
マイケルは報道陣のカメラに向かって
笑顔&敬礼。(カワイイ…
壁に貼られていた
世界の子供たちを描いたポスターを目ざとく見つけて無事
1枚ゲット、
マイケルはそれを手に
約30分で会場をあとにした。
帰り際は、
バンからお手振りをしたために ファン達が
公園通りを走ってバンを追っかけ。
日本最後の夜にもマイケルパニックを引き起こしたのでした。
ちなみに寄贈品は、
10月20日~29日は 『パルコ PART1』 1階の
ショーウィンドウに展示、
30日に 『パルコ PART3』 で
チャリティーオークションが行なわれた。
オークションには、ハガキ応募者
1,140名からの抽選で
244名が全国から参加。
「青いコーデュロイのシャツに ほのかな香水のかおりがする」と発表されるや、大歓声でシャツに駆け寄る熱狂ぶり。
その
香水シャツは
20万円で落札され、
マイケルが日本公演用に購入したという
黒い帽子は
13万円,
サイン入りタオル7万円等。
2千万円で業者が買うと噂された目玉の
サイン入りウィンドブレーカーは、結局
25万円。
競り人がストップをかけなければもっと高値がついたはず、だってよ
ww
約45分間でオークションは終了。
最終的にマイケルが寄贈した
計34点の落札総額は
約274万5千円。
すべて日本ユネスコ協会連盟の
識字教育活動に充てられ、発展途上国へ送られた。
発表会見の3日前、三浦半島を走る車中で尾花事務局長はマイケルに質問してみたそう。
「日本には海外の途上国支援をしているNGOがたくさんあるのに、
あなたはなぜ寄付先に民間ユネスコを選んで下さったのですか?」マイケルは微笑みながら、ようやく聞き取れるほどの小さな声で
「ユネスコの支援活動が "コーアクション" だからです。
その理念に共感したから。
上からモノを与える "ギフト" ではなく、ともに行動し ともに学んでいく。
その精神が大切だと思うから」。
この後もマイケルは、
【訪日記念メダル】 の収益などを含め
約1千万円を日本ユニセフに寄付。
これを元手に
『ユネスコ世界寺子屋運動』 が立ち上がったそうで、
まる20年経った2009年の段階で
43ヶ国1地域の約124万人に学ぶ機会を提供できたという。
何の
見返りも要求せず
基金にマイケルの名を冠することすら拒み
ただ、基金の使途について
「学ぶ機会に恵まれない 途上国の子供たちのために」の言葉を残し、マイケルは日本をあとにしたのだそう。