忍者ブログ
♪ 9割がた クローズしております ♪
| Admin | Write | Comment |
ブログ内検索
カウンター
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

とっくの昔に書いたつもりだった記事、
いろいろ紛れて書き損なってたらし。

なのでご存知の方も多い話でしょーが、
自分のためにメモっときたい追加事項もあるので


以下、2009年7月9日付 オーストラリアのローカル記事より抜粋&要約。

********


豪リバーストーン・アボリジニ先住民会のリーダーであるヴィルマ・ライアンさん(72歳)は、
このたび22年間にわたる沈黙の誓約を破り、マイケルとの出会いについて語った。

 


'87年、シドニー外れのレッドファーンでアボリジニ系幼稚園の園長を務めていたヴィルマさんは
BADツアーでシドニー空港に到着したマイケルの側近に手紙を渡した。
アボリジニ情勢(特に拘留中の黒死病)について非常に関心を抱いていたマイケルは
宿泊先であるシドニーのリージェントホテルに、彼女を招待。

 「私の仕事について話して聞かせると、マイケルは
 幼稚園のスタッフや子供たちやその両親とシドニー公演後に会いたいと言い出しました。」

 「子供たちはあなたのコンサートを観ることが出来ないと言うと、
 マイケルはシドニーのパラマッタスタジアムのチケットを100枚くれました。」

 「お話の間、マイケルはとても礼儀正しく、物腰の柔らかい話し方で丁寧に接してくれました。」


ヴィルマさんは、シドニー公演('87年11月20日か21日)の後に
マイケルを幼稚園の子供ら約30名と引き合わせてレッドファーンへ案内する手配をした。


今回の件を、事前や当日にメディアが嗅ぎつけたらキャンセルになると側近から言われたそう。
そしてこの件はマイケルの帰国後も公表してはならない、とも。

 「まさに私の人生のハイライトであり、かつ22年間の私の最大の秘密でした。」

 「私は、マイケルの保安に気を配るためにアボリジニ婦人警護隊を組織し、
 マイケルの到着後はドアをロックするよう命じました。」


当日。

マイケルは幼稚園で、子供たち・両親・スタッフたちと約2時間をおしゃべりして過ごした。
そしてヴィルマさんが手配していたサリーヒルズ写真スタジオでの記念撮影も
無事に済ませることが出来た。


********


あぁ~あ!!!
あれらの写真って、その時のかぁ!!!
記事と写真、出た時期がぜんぜん違うんでバラバラに認識してたけど、
ここにきて点と点とが繋がった~~!!!










マイケルの後ろがヴィルマさん


そかー
'87年の写真だったかー
てっきり、BADツアーが落ち着いた'88年か'89年にLAで撮ったものだろうと…(思い込み


というわけで
コレらのシリーズも多分(ゼッタイ)同じ日の撮影。↓


そういえばこのカーディガン、アボリジニの人からもらったって聞いた事が…
(なんで今思い出すかなー



ビルやチャッキーら側近たちも撮ってる~~



PR
≪ Back  │HOME│  Next ≫

[3590] [3589] [3588] [3587] [3586] [3585] [3584] [3583] [3582] [3581] [3580]

Copyright c * 戯 *。。All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog / Template by カキゴオリ☆ / Material By 人形首
忍者ブログ [PR]