♪ 9割がた クローズしております ♪
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「審査員は、マイケル・ジャクソンの元バックダンサー (中略) らが務める予定」
とされていたので、ユーコさんでしかありえない (トニーティー氏は3年前ご逝去)
‥‥と誰もが思ったことでしょう。
が 結局、ジェイ・エピセンター氏(※日本人) というお方になったようです。
≪プロフィール≫
へぇ~~ (´∀`)
‥‥って調べてみたけども
ソウルトレインの資料のダンサークレジットに お名前が見当たらず。 【参照資料: tv.com & IMDb】
5,6年前にやってたダンス番組の公式HPで こんな記述は見つけたけど、裏づけにはならない~
そしてジェフリー氏との関係を裏づけるものも見つけられず~
まあ古い話だろうから、「ネット上のデータに無い=事実ではない」 とは全く思わないんで
そこは疑っちゃーおりませんがぬ。
けど、踊ってる映像もまったく見つけられなかったのは残念…
それどころか
ダンサーなことを裏づけるネタ (文章・画像・映像) すらも、コピペなプロフィール以外は1つも‥‥;
出てくるのは “活動家” の面ばかりで~~ (苦笑
ネット上に書いてある事を まんま鵜呑みにしない私みたいな可愛げのないヤツ向けに
YouTubeにでもダンス映像いくつか公式にupしといた方が良いのではw
ほんと、疑っちゃーおりませんだけに 看板に偽りアリと思われたら勿体ない、と 老婆心。
とされていたので、ユーコさんでしかありえない (トニーティー氏は3年前ご逝去)
‥‥と誰もが思ったことでしょう。
が 結局、ジェイ・エピセンター氏(※日本人) というお方になったようです。
≪プロフィール≫
ヒップホップアーティスト&国際情勢分析家という2つの顔を持つ。
1964年生まれ、ヒップホップ界黎明期からアメリカで活動し、エンターテインメントダンス音楽番組 『Soul Train』 において日本人初のレギュラーダンサーを務める。
マイケル・ジャクソンの振付師 ジェフリー・ダニエルに "弟分" として見出され、 海外アーティスト作品制作等にも多数参加しているほか、日本でも映画のクラブ・ダンスシーンの演出や撮影のアドバイザーなども努めている。
へぇ~~ (´∀`)
‥‥って調べてみたけども
ソウルトレインの資料のダンサークレジットに お名前が見当たらず。 【参照資料: tv.com & IMDb】
5,6年前にやってたダンス番組の公式HPで こんな記述は見つけたけど、裏づけにはならない~
そしてジェフリー氏との関係を裏づけるものも見つけられず~
まあ古い話だろうから、「ネット上のデータに無い=事実ではない」 とは全く思わないんで
そこは疑っちゃーおりませんがぬ。
けど、踊ってる映像もまったく見つけられなかったのは残念…
それどころか
ダンサーなことを裏づけるネタ (文章・画像・映像) すらも、コピペなプロフィール以外は1つも‥‥;
出てくるのは “活動家” の面ばかりで~~ (苦笑
ネット上に書いてある事を まんま鵜呑みにしない私みたいな可愛げのないヤツ向けに
YouTubeにでもダンス映像いくつか公式にupしといた方が良いのではw
ほんと、疑っちゃーおりませんだけに 看板に偽りアリと思われたら勿体ない、と 老婆心。
≪SOUL TRAIN '73年11月17日≫
ソウルトレイン・ダンサーズ を楽しそうに眺めるマイケル

ソロ曲 "With A Child's Heart" を歌い上げるマイケル

それを舞台そでから楽しそう (&心配そう) に覗くマーロンやビル達
ソウルトレイン・ダンサーズ を楽しそうに眺めるマイケル
ソロ曲 "With A Child's Heart" を歌い上げるマイケル
それを舞台そでから楽しそう (&心配そう) に覗くマーロンやビル達
冨田勲さんの朝日夕刊インタビュー連載は、先週火曜~今週金曜まで全9回。
んで 結局 (やっぱし)、マイケルの名前はまったく出てきませんでした~~
が、1つ判明したことが。
'88年、【ぎふ中部未来博】 の一環として長良川を舞台に上演したことについて
冨田氏いわく、
えっ‥‥
スティービーも、あのアルバムを聴いて冨田氏ん家に訪問を
こ~れはもう、マイケルかスティービーか
先にヤッた方が報告して
もう1人が 「じゃあ僕も日本に行った時に
」 って事だったとしか‥‥
さて、どっちが先に訪問したのでしょう? れっつら検証~w
その頃スティービーの来日(在京)は、'85年秋 & '88年春。
スティービーが自宅訪問したのが前者ならスティービーが先、後者ならマイケルが先。
(※マイケルが訪問したのは'87年9月24日)
ここでネックになるのが、【ぎふ中部未来博】 での長良川イベント。
これは'88年7月22日に行なわれたもので、1年前から子供たちは練習スタートしたとか。
つまり、'87年夏にはもう全体構想は固まってたわけで。
つー事は
'88年春にスティービーが自宅訪問&イベント話を振る&スケジュール調整&撮影 (@すべて1週間以内)
‥‥ってのは すげぃムリあるし、実際ムリww
というわけで
スティービーが冨田氏の自宅訪問したのは '85年秋。
ゆえに、スティービーが先。
そかー
マイケルって、坂崎ニーナさんいわく 「すぐヒトの自宅に行きたがる」 人間ではあれど
それにしたって冨田氏のご自宅アポなし訪問って、トートツ感がすごくて不思議だったんよぬw
スティービーがそそのかしたせい(?)だったのかー
ようやく納得
その 「UFOで現れるスティービー」 のイベント、
映像ありますた

マイケルのマの字も載ってない記事からだって
マイケルネタを得ることは出来るのだ
(相当ゴーインだがぬw
んで 結局 (やっぱし)、マイケルの名前はまったく出てきませんでした~~
が、1つ判明したことが。
'88年、【ぎふ中部未来博】 の一環として長良川を舞台に上演したことについて
冨田氏いわく、
「スティービー・ワンダーが映像で参加してくれた。
“月の光” を聴いた彼が、僕の仕事場を訪ねてきた縁です。
地元の子供たちが自作の竹笛を吹くとスティービーがUFOで現れる設定を説明したら、『スピルバーグの世界だね』 と。
彼の日本ツアー中に撮影しましたが、短いシーンなのに納得いくまで撮り直し、18時間かかりました。」
えっ‥‥
スティービーも、あのアルバムを聴いて冨田氏ん家に訪問を
こ~れはもう、マイケルかスティービーか
先にヤッた方が報告して
もう1人が 「じゃあ僕も日本に行った時に
さて、どっちが先に訪問したのでしょう? れっつら検証~w
その頃スティービーの来日(在京)は、'85年秋 & '88年春。
スティービーが自宅訪問したのが前者ならスティービーが先、後者ならマイケルが先。
(※マイケルが訪問したのは'87年9月24日)
ここでネックになるのが、【ぎふ中部未来博】 での長良川イベント。
これは'88年7月22日に行なわれたもので、1年前から子供たちは練習スタートしたとか。
つまり、'87年夏にはもう全体構想は固まってたわけで。
つー事は
'88年春にスティービーが自宅訪問&イベント話を振る&スケジュール調整&撮影 (@すべて1週間以内)
‥‥ってのは すげぃムリあるし、実際ムリww
というわけで
スティービーが冨田氏の自宅訪問したのは '85年秋。
ゆえに、スティービーが先。
そかー
マイケルって、坂崎ニーナさんいわく 「すぐヒトの自宅に行きたがる」 人間ではあれど
それにしたって冨田氏のご自宅アポなし訪問って、トートツ感がすごくて不思議だったんよぬw
スティービーがそそのかしたせい(?)だったのかー
ようやく納得
≪'87年11月20日 豪・シドニー公演≫

「僕もこないだトミタん家いっちゃった~~
」 「まぢで~~
」
「しかもアポなしで~~
」 「まぢでーーっ
」
「僕もこないだトミタん家いっちゃった~~
「しかもアポなしで~~
その 「UFOで現れるスティービー」 のイベント、
映像ありますた
「トミタ・サウンドクラウド・イン・長良川」
(テーマ「人間讃歌」)
(テーマ「人間讃歌」)
マイケルのマの字も載ってない記事からだって
マイケルネタを得ることは出来るのだ

