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VHSで録ったものもHDDに移し、無関係シーンの削除終了
26日(金)6:46 ~ 27日(土)深夜
その2日間たらずで一体どれほど録ったのかというと…
13時間03分 (倒
CMとかは最大限カットして、だよ?!
フジのアホアホ特番でのノーカットThrillerも削除したのに、だよ?!
同時録画は2番組が限度なので録り逃がしは多いのに、だよ?!
時おり心が折れて 「もぉいーわ」 って投げてたのに、だよ?!
BSは殆んど捨てていて CSには加入してないのに、だよ?!
98%、地上波の民放。
狂ってやがる。
メディアも 私も。
とか書いてる間に、1分30秒追加~(@NEWS
検視を終えて葬儀施設に移されたものの
家族が 『2回目の独自の検視』 を希望してるとか
26日(金)6:46 ~ 27日(土)深夜
その2日間たらずで一体どれほど録ったのかというと…
13時間03分 (倒
CMとかは最大限カットして、だよ?!
フジのアホアホ特番でのノーカットThrillerも削除したのに、だよ?!
同時録画は2番組が限度なので録り逃がしは多いのに、だよ?!
時おり心が折れて 「もぉいーわ」 って投げてたのに、だよ?!
BSは殆んど捨てていて CSには加入してないのに、だよ?!
98%、地上波の民放。
狂ってやがる。
メディアも 私も。
とか書いてる間に、1分30秒追加~(@NEWS
検視を終えて葬儀施設に移されたものの
家族が 『2回目の独自の検視』 を希望してるとか
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マイケルのことは、'93年の事件の時
もうこいつら絶対マイケルを一生クリーンにしやしないだろう
って判ってた
だからあの時
いっぱいいっぱい泣いた
「死にでもしない限り、もう正当な評価なんて述べやしないんだ」
って
訂正
死んだってダメだった
さらにもっともっと好き勝手を言い放ち
しかもソレに妙ちきりんな同情も追加され…
もうたくさんだよ
Leave Him Alone !!!!!!!!!
もうこいつら絶対マイケルを一生クリーンにしやしないだろう
って判ってた
だからあの時
いっぱいいっぱい泣いた
「死にでもしない限り、もう正当な評価なんて述べやしないんだ」
って
訂正
死んだってダメだった
さらにもっともっと好き勝手を言い放ち
しかもソレに妙ちきりんな同情も追加され…
もうたくさんだよ
Leave Him Alone !!!!!!!!!
山梨の毎日新聞より
'80夏、マイケルを撮影した冨塚晴夫さんのお話。
新聞記事のURLはすぐ消えてしまうことがあるので
本当はマズイんだけど、転載します;
********************
世界的人気を誇った歌手のマイケル・ジャクソンさん(50)の急死は、県内にも衝撃をもたらした。
アイドル歌手として頭角を現し始めていた21歳のマイケルさんを撮影した日本写真家協会会員の写真家、冨塚晴夫さん(61)=山中湖村平野= に世紀のスーパースターの思い出を振り返ってもらった。
「あのはにかんだ笑顔が忘れられません」
と冨塚さんは目を細める。
冨塚さんがマイケルさんと出会ったのは80年の夏。
日大芸術学部を卒業後、ハリウッドでフリーカメラマンとして広告写真や俳優・ミュージシャンを撮影していたころだ。
レコード会社から
「マイケルを日本の音楽雑誌に掲載したい」
と依頼が来たのだ。
指定されたレコーディングスタジオには屈強なボディーガードが立ち、物々しい雰囲気が漂っていた。
しかし、ドアを開けた瞬間、マイケルさんは満面の笑みで冨塚さんを迎え、
「ハイ、トミー!」
と声をかけてきた。
当時、マイケルさんはジャクソン5の1人として人気急上昇中だった。
「大物だから、指示通りには動いてくれないだろう」
と思っていたが、撮影が始まると、予想は見事に裏切られた。
その仕草から受ける印象は 【恥ずかしがり屋の少年】。
冨塚さんが
「こっちを向いて」
と指示すると、あどけなさが残る照れたような笑顔を見せた。
マイケルさんはその2年後の82年、グラミー賞8部門を独占し (※原文のまま)、
1億400万枚を売り上げたアルバム「スリラー」を発売、世界的な名声を確立する。
しかしその時は
「大スターという印象からはかけ離れていた」
と冨塚さんは振り返る。
約1時間かけ、ジャクソン5メンバーの兄弟たちとビリヤードやピンボールを楽しんだり、スタジオで発声練習をするマイケルさんを撮影。
最後に法被(はっぴ)を記念に渡したところ、マイケルさんは
「本当にありがとう」
と大喜びで法被に袖を通したという。
冨塚さんは26日朝、自身が経営する写真ギャラリーのテレビでマイケルさんの訃報を知った。
「本当にショックです。」
「撮影後もずっとテレビなどを通じて彼を見続けてきました。
変なニュースばかりが入ってきた時期もあったけど、あどけない笑顔の、あのころのままの人だったと思う。
彼を撮影できたことは私にとって一番の財産です」
と寂しげに話した。
********************
どうもありがとうございました
って ボロ泣き…
'80夏、マイケルを撮影した冨塚晴夫さんのお話。
新聞記事のURLはすぐ消えてしまうことがあるので
本当はマズイんだけど、転載します;
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世界的人気を誇った歌手のマイケル・ジャクソンさん(50)の急死は、県内にも衝撃をもたらした。
アイドル歌手として頭角を現し始めていた21歳のマイケルさんを撮影した日本写真家協会会員の写真家、冨塚晴夫さん(61)=山中湖村平野= に世紀のスーパースターの思い出を振り返ってもらった。
「あのはにかんだ笑顔が忘れられません」
と冨塚さんは目を細める。
冨塚さんがマイケルさんと出会ったのは80年の夏。
日大芸術学部を卒業後、ハリウッドでフリーカメラマンとして広告写真や俳優・ミュージシャンを撮影していたころだ。
レコード会社から
「マイケルを日本の音楽雑誌に掲載したい」
と依頼が来たのだ。
指定されたレコーディングスタジオには屈強なボディーガードが立ち、物々しい雰囲気が漂っていた。
しかし、ドアを開けた瞬間、マイケルさんは満面の笑みで冨塚さんを迎え、
「ハイ、トミー!」
と声をかけてきた。
当時、マイケルさんはジャクソン5の1人として人気急上昇中だった。
「大物だから、指示通りには動いてくれないだろう」
と思っていたが、撮影が始まると、予想は見事に裏切られた。
その仕草から受ける印象は 【恥ずかしがり屋の少年】。
冨塚さんが
「こっちを向いて」
と指示すると、あどけなさが残る照れたような笑顔を見せた。
マイケルさんはその2年後の82年、グラミー賞8部門を独占し (※原文のまま)、
1億400万枚を売り上げたアルバム「スリラー」を発売、世界的な名声を確立する。
しかしその時は
「大スターという印象からはかけ離れていた」
と冨塚さんは振り返る。
約1時間かけ、ジャクソン5メンバーの兄弟たちとビリヤードやピンボールを楽しんだり、スタジオで発声練習をするマイケルさんを撮影。
最後に法被(はっぴ)を記念に渡したところ、マイケルさんは
「本当にありがとう」
と大喜びで法被に袖を通したという。
冨塚さんは26日朝、自身が経営する写真ギャラリーのテレビでマイケルさんの訃報を知った。
「本当にショックです。」
「撮影後もずっとテレビなどを通じて彼を見続けてきました。
変なニュースばかりが入ってきた時期もあったけど、あどけない笑顔の、あのころのままの人だったと思う。
彼を撮影できたことは私にとって一番の財産です」
と寂しげに話した。
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どうもありがとうございました
って ボロ泣き…

