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今、ジミー・オズモンド氏が東京に来てるのぬ!


にっっ 28年前みたく
マイケルと日本との橋渡しを~~~ ( ≧△≦)ノ ;


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20年前の公式HPの再構築は、ひととおりの手入れは3日前に終了。

すごい集中して15日間かかった~~(湯気@頭
今月に入ってから1回もトルネコ2やってないw


ガチで当時使われた材料(画像/音源/映像)だけで再構築したけど、
純粋にそのままにしておくか
ユルい再現工作を加えちまうか、迷い中‥‥

たとえば
音源は1つにつき それぞれ aiff, wav, au形式の3種類がupされてるんだけど
3種類とも残ってるのはレアケース。
1種類でも残ってれば、ほか2種類へ変換できると思うんで ソレやっちゃうかな~とか
でもそれって偽装(?)だもんな~とか

あと、先日ちょこっと書いたように
明らかに現行とは違った(廃止された?)プログラミングの形跡がありまして。

HPを発表した1995年6月当時といえば、
"JavaScript" というプログラミングは 生まれたか生まれてないかの頃で、使用していないはず。
しかし、どう考えても 「ココを押すと音声が出る」仕組みがあったもよう‥‥
JavaScript以外にそんな事できるのか わしゃ知らんけど、当時はあったのかもしれない。

だってさー!
"ミュージアム" のエレベーターでは音声案内があるんだけど(英語/日本語)、
フツーに再構築した結果、
INFOマークをポチると 案内音源をいちいちDLさせられる事に‥‥


Iマークをポチると音声が鳴らずに保存先を求められる

んなわきゃないよぬ?
無意味よぬ?
ポチった時に音声がダイレクトに鳴らずに わざわざDLさせられるなんて
マイケルの声でもないのに いつ聴くのソレww


なので
このエレベーターのシーンだけでも JavaScriptで作っちゃおっかな~~って‥‥(の@畳

ポチって音を鳴らすごときはカンタンらしいけど
そのカンタンが あああああ (頭抱
かつて自分のHP作った時ですら手を出さなかったJavaScriptを今さら勉強とか… orz


マイケルには思ってもみない事イロイロやらされるよナー まったくwwww


他にも、CGI使って
閲覧に来るたび背景の色が変わる仕組みも組んでると終盤に気づいたけど
ソレはもう放棄w
知るけwww


ちなみにエレベーターでの音源のすべては、コレ。emoji


続けて聴きたかった自分用にup
エレベーター&降りたフロア周辺 (最低限の画像のみですまぬ


英語ver.は最初のエレベーターホールのしか残ってなかったけど、
日本語ver.は奇跡的にすべて残ってたemoji(ちょいナマってる?
でも、なぜか4Fまでで
5~7Fは、音源を鳴らすボタン自体がそもそも存在しない

エレガのねーちゃん サボんなや~~


欽ちゃんといえば、"あの曲" への疑念‥‥


『THE WIZ』を初めて全編とおして観たのは、
VHS廉価版が出された '89年だろうと思う。(18,800円 → 3,390円)

でも "Ease On Down The Road" の曲は、
日本でもスリラーブームでラジオもMJ特集組みまくった '83~'84年、当然かけられて
カセットに無事収め、ヘビロテ街道まっしぐらemoji


たしか、すぐにではなかった。
1年だか2年だか経ってから 「あれ? コレって‥‥」

そう、【欽ちゃんの仮装大賞】のテーマ曲が激似だという事に気づいたのは。


かなり以前、日テレの番組担当者に問い合わせて
戴いたお返事をネット上に書いた記憶がガッツリあるものの
そのお返事メールが見当たらない… orz そういうのは必ず保存かけるのにっ!
ということは、Winに移る前・Mac時代か‥‥
つまり 2001年よりも前、15~16年前に訊いたと考えて良さげ。

たしか、結構ストレートに訊いた気がする。
 「2つの曲はよく似ていますが、先に発表された "Ease~” を編曲したものですか?」 的に。
そしたら
 「作曲者とは連絡をつけられていないが、オリジナル曲だと聞いている」
 「曲のタイトルは特にない」
 「毎回バージョンを違えている」
 「ちなみに、運動会に使用したい等の二次使用・貸出申請に対しては一切許可していない」
旨のお返事だったと記憶。

オリジナル曲ねぇ‥‥ (´~`)
とか、当時もずいぶん揶揄したっけ (多分T氏のBBSにてw



4gounetさん GJ! (≧∀≦) b


ところでこの話を今ググると
2003年、某ジャーナルの記者さんが自分で調べた風味に書いとる
ラクな仕事だぬ

まーいいやemoji(と思ってないから晒したくせにw


でも、ほんっと~~にオリジナルのつもりで書いたのかも‥‥
だってわし、曲作りのことワカランし
これだけ音楽史が永いと、ある程度は似ちゃうのは もう仕方ない

にしたって似すぎだがぬww


その後は そんな認識で、もうほとんど気にせずにいたんだけど


2~3ヶ月前、ふと調べ直してみると
作曲者は木森敏之さんという方だと判明。 (※当時はWikiもなかった)
しかし '88年、すでに他界… 40歳という若さで。(合掌
日テレ側が 「連絡つけられない」って言ってたのは だからかぁ‥‥

以下、Wikiから抜粋&ちょい編集。

木森敏之
 職業 作曲家・編曲家
 活動期間 1971年~88年
 1970年 日本大学芸術学部卒
 LA DICK GROVE ミュージックワークショップ卒

 最初期の火曜サスペンス劇場のタイトルバック音楽は、英国人作曲家John Scottの作品である米映画 『ファイナル・カウントダウン』のスコアから数曲を組み合わせるなど無断で編曲したものであった。(主旋律の一部を補作・改変)(’81年)
 そのため、これをもとに再編曲された火曜サスペンス劇場の主題歌 『聖母たちのララバイ』('82年)もJohn Scottからの盗作として知られている。
 しかし 『聖母たちのララバイ』の後半部分(いわゆるサビ)については、John Scottからのものではなくオリジナルに作曲されたものである。


信じようとしたのに
やっぱ確信犯的だったのぬ~~ _(:3」∠)_ ズコー



いぞんだん いぞんだんemoji


土曜のA新聞で、また萩本欽一氏のロングインタビューが。

日記タイトルにしちゃってるけど
「"さすが" と言われたい感」が、大人物あつかいされている人でも わりと匂うのに
欽ちゃんには全く匂わない。
偉人! と声を大にして崇め奉るよりも、静かなる尊敬を胸に接したい人‥‥

インタビュアーの方もツボを射た質問で
とても良い記事に仕上がっているなと感じ入りましたemoji



= 遠回りしようよ、失敗だらけでも  萩本欽一の大学生活



「みんなで茶の間で見るテレビ(番組)がないっていうけど
みんなが茶の間に集まらなくなったんじゃないの」


 高校を出て、浅草でお笑いの道に入ってから55年。
 萩本欽一さんが今春、駒沢大学仏教学部の社会人入試に合格し、74歳の学生生活を楽しんでいる。
 かつて人気バラエティー番組を多く世に出し、お茶の間の笑いを独占した「欽ちゃん」。いまの若者を、笑いと時代の移ろいを、どう見ているのか。放課後に聞いた。


- 学生生活はいかがですか。

 楽しいよお。毎日、朝から学校に行ってるよ。
 今日は英語、仏教漢文、ドイツ語でした。ちょっと語学が苦手なんだけど。

 明日、会う人がいる、しゃべる誰かがいるっていうのが、この年になると一番幸せだと思うの。
 年を取ると、周りと付き合いづらくなってね。僕もいつの間にか『大将』と祭り上げられていた。大学では、20歳前後の子がみんな『欽ちゃん』と呼んでくれる。


- どうしてまた、大学に?

 僕たちの世代って、人生ずっと頑張ってきて、ようやく肩の荷を下ろし、自分にご褒美をあげるころなの。
 でも僕はずっと、みんなの逆を行って生きてきた。
 だから去年、舞台を引退したときに何か新しい荷を背負おうと思ったの。それが受験勉強だった。

 僕は仏教学部を『仏様の教え』と読んだからね。いい言葉がたくさんあるに違いない、その言葉に会いに行こうって思った。
 母ちゃんも大学には絶対行けといっていたし。ご免よ、ちょっと遠回りしてって感じかな。


- キャンパスでは若者と普通に会話しているんですか。

 もちろん。
 就活で暗い顔した4年生に喫煙所で会ってね。僕、言ったの。
 いろんな職業の人に会ってきたけど、半分は『好きで始めた仕事じゃねえ』って人だった。オヤジがかわいそうで家業を継いだ、とか。でも、そんな人の、いまは幸せって笑顔を何度も見たよってね。
 そしたら、『幅が広がった』って、うれしそうに飛んでった。

 人のお世話をする仕事をしたいっていう女子には、いいねえ、あんたがおばあちゃんの面倒なんかみたら、アイドルになるんじゃないのって言ったの。
 笑顔がとってもいい娘でね。
 そしたら泣き出しちゃった。こんなに認めてもらえたのは初めてだって。


- 何が見えました?

 もしかして、僕たち大人は若者とちゃんと会話をしてないんじゃないか。
 親は子に重すぎる夢を負わせていないか。
 だから若者は働くイメージも持てず、窮屈で、生きにくい世の中になっているんじゃないかって。

 とにかくみんな、前へ前へと進みたがることも気になるね。
 モデルになる誰かを見つけて、すぐにマネしようとする。でもね、人生はそんなに簡単に前には進まないよ。偉人の伝記を読めばわかるでしょ。最初は失敗だらけなんだから。
 だから僕はいつも言うの。
 まず一歩下がって、世界を広く見ろ。もっと遠回りしろ、人と違う冒険を始めろって。


- でも、萩本さんの人生は順調だったんでしょう。

 違うよお。
 高校を出て浅草の劇場で修業を始めたんだけど、実はあがり症でね。セリフも忘れ、本当に才能がなかった。
 3カ月で演出の先生に呼ばれ、やめるなら早いうちだと言われて、『やめます』って答えちゃった。

 しょんぼりしていたら、先輩が『どうした』と聞くの。
 事情を話すと、飛んで行って先生に掛け合ってくれた。それで残れたの。
 後で先生から言われたよお。
 お前みたいな下手くそを止めにきた奴がいる。こういうのが芸の世界では大事なんだ。応援したい、って周りに思ってもらうのが俺たちの仕事だから。欽坊、やめるなよ、って。
 もう、泣いちゃったよ。

 人生は出会いだって、よく言うけど、ちょっと違うね。
 出会いっていうのは、人にただ会うことじゃないんだ。苦労をして、マイナスの経験をいくつも積んで初めて、会うべき人に出会える。
 なぜ自分がダメだったのか、生きていくうえで何が足りなかったのか。本当の出会いなら、その答えが見えてくるもんだよ。


- 運と才能。成功するには、どちらが大事でしたか。

 8割は運だね。
 そいつは正面からは来ない。思ってもみないところからやってくるから、なかなかつかまえられないのよ。
 後ろから肩をトントンやる奴がいて、うるせえなこの野郎って、振り向いたら何だ、ここにいたのか、というのが運なんだよ。
 坂上二郎さんとの出会いがそうだった。

 浅草では突っ込みのライバルでね。しつこくって苦手だった。好きな人100人に電話しろと言われたら、101番目に電話する人だったね。
 でも、その二郎さんが何と、僕に電話してきたの。
 テレビで大失敗した僕が、意気消沈して行った熱海のショーから戻った日だった。
 コントを思いついたばかりでね。話したら、2人でしたほうがきっと面白いって。それがコント55号の始まり。
 運は二郎さんが全部持ってきてくれた。


- 飛び蹴りをして、舞台を縦横に駆け回る姿が衝撃でした。

 浅草では言葉で笑わせたりすると先輩に張り倒されたんだよ。動きや体、芝居で笑わせろって。
 でもね、コント55号でテレビに出始めて気付いたの。
 芸って深いものなのに、テレビはそれを映さない。動きも伝わらない。なのに芸をやり、動きの笑いをやってたら間抜けだろうって。
 それで言葉の笑いに移っていった。投稿を募る『欽ドン!』や、ドラマ仕立ての『欽どこ』につながったの。


- テレビは何が違いました?

 コント55号の練習中に、連合赤軍が人質をとって立てこもった浅間山荘事件(72年)を生中継しててね。窓に影が映ったというだけで、みんなテレビの前にすっ飛んで行ったの。ディレクターまでもが。こっちは懸命に稽古しているのに。
 で、気付いたわけ。
 テレビは何が面白いとか、何がいいとかじゃなく、次に何が起こるかわからないときに最も人を引きつけるんだ。予測不能の『いま』を撮れば面白くなるんだって。


- それがヒットの秘訣?

 秘訣がわかれば、まだテレビをつくってるよ。
 ただ、振り返ったら、みんながやっていることはしない、という一点だけは貫いてきたね。
 世の中には優れものが大勢いる。僕なんかがマネしてもかなわない、とわかってたから。

 子役をどうやって選ぶかテレビ局に聞いたら、タレント事務所に電話したらなんぼでも来ます、どの局もそうしてますって言う。
 『じゃあ、それをやめてください』っていうだけで変わったね。
 あるディレクターは、何かピンとくるいい子役を求めて、全国を歩いたっていうし。

 遠回りすれば、人間いろいろ考える。いろんな出来事にぶつかる。
 もちろん、いいことばかりとは限らないよ。
 でも、とてつもなくいいものにぶつかることが、あるんだよ。その出会いにこそ物語が生まれる。それが大事なのよ。そういう物語に、人は心を動かされるんだから。


- 時代が変わると、笑いも変わるものですか。

 変わります。
 昭和の笑いには、下の者が上の者をちゃかす快感があってね。
 偉い社長さんをごまかし、インチキするサラリーマンの姿が笑いをとっていた。
 すき焼きの場面で、ネギで肉を隠しながら食べる姿がおかしかった。
 笑いというのは貧しい大衆、ちょっとダメ扱いされている人間たちの反撃でもあったの。
 でも日本が豊かになると、すき焼き自体が珍しくなくなり、社長さんにも文句を言うようになって、反撃の笑いが成り立ちにくくなってきた。


- 時代は巡り、いま再び、貧困と格差が広がっています。

 笑いはみんなの共感を呼ぶものに敏感だから、本当に大変な時代が来たら貧困も格差もネタにすると思うよ。
 笑いは必ず時代に追いついてくる。
 それに笑いには、直接は言えないことを遠回しに伝える大事な働きもあるんです。みんな何かヘンだなあと思っていることを、笑いが社会に広く伝えるということがあるの。


- これから、どんな新しい笑いが生まれるのでしょう。

 なんだ、こんなことが笑いになるのか、という何かでしょう。
 これまでのジャンルには収まりきらない何か。本当に新しい何かが生まれるときは、ラベルから変わるもの。
 僕らだって最初、コントって何ですか、漫才とどう違うんですかって聞かれて困り、さあ何ですかねえって答えてたもん。


- もしかして、その「何か」をいま大学で探しておられる?

 うっ。
 まあ、そのー、大学に通って若いのに毎日会っているうちに、僕のなかの何かが変わって、結果的に何か新しい笑いが見えてこないかなあっていう気持ちが、実はないこともないんだけど。
 まだ、いいことないなあ。


- いまも現役なんですね。

 もちろん。生まれ変わってもコメディアンだよ。
 ただ、またダメなコメディアンから出発したいね。ダメな若い奴が上を目指してもがく姿に、支えてやろうって気持ちが生まれたんだと思うから。

(聞き手・萩一晶記者)
GJ emoji


28年前の今日 - 1987年7月13日
アルバム『BAD』 最終視聴会エンシノ邸で開催した日。


6年半前にも書いたとおり
Epic/CBSのお偉方,主要レコード店のお偉方,ごく親しい友人など 総勢50名を集め、
一流シェフを招いたディナー込みの そのプライベート・イベントの正式名称は
『Exclusive Preview of BAD Album』
1ヶ月半後にリリースされるBADアルバムの試聴と、BADのショートフィルムを観賞。

マイケルは、BADで着用しているシャツを着て
ラト姐&バブルス君と登場emoji

ディナーのメニューは、鮭のグリル焼き・仔牛のチョップ・シャンパンなど。emojiemoji
バブルス君は、マイケルのおひざの上でアイスクリームを堪能。emoji(涎

ディナー後は、記念写真撮影。(涎
数えたら マイケルを除いて37人。
だいたい10人前後ずつの撮影なので、少なくともあと1枚は存在するはず。(強欲?w









で、その写真を封入し 
各人あてに違ったメッセージ&サインを入れたビデやカセットも配したメモラビリアを、
たぶんお土産として お持たせemoji


Harold氏あて / Jim氏あて
(他に Rich氏あて等もあるけど省略)


後日に配送したのかもなとも思ったけど、
何となくソレって考えづらい気が。
やっぱ、当日のお土産だよなと。(※日本的考えかもだがemoji

だとしたら、まず
 ディナー → 撮影会
という順序は 参加者によって証言されているので間違いなし。
撮った写真がインスタントカメラだったにしろ、写った人物を見極めて
あらかじめ書いたメッセージの額へ振り分けるのは少々時間かかるので、
 ディナー → 撮影会 → プレミア観賞会 → お土産を持たせてさようなら

プレミア観賞会は、
 アルバム全曲合計で約48分。
 ショートフィルムは約18分。(スタッフロール含む)
1時間ちょいあれば、スタッフ2~3人で50名分を装丁するのは可能。

‥‥ゴーインかな?w

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