さよならマイケル 再来日を約束 1987年10月20日付 報知新聞 |
香港へ出発 ファン100人が涙 ※ 新聞によっては "250人" 「また日本にきます。約束します」。 9月9日に来日以来、日本中に "マイケル旋風" を巻き起こしたスーパースター、マイケル・ジャクソン(29)が19日午前10時20分、成田空港発香港行きの日航機で離日した。 混乱を避けて出発ロビーを通らずに出国手続きをしたマイケルは、サテライトで取り囲んだ約50人の取材陣やファンににこやかな笑顔で、気軽に右手を上げてサービス。 日本テレビのインタビューに応じて 「日本を離れるのは非常にさみしい。 でも、こんなにすばらしいファンに囲まれて出発することが出来てとてもうれしく思います。 再び日本に来たいと思いますし、約束します。ありがとうございました」 とメッセージを残し、飛行機に乗り込んだ。 来日時には10人足らずだった "追っかけ" ファンも、日増しに増え、この日朝7時すぎ、東京・永田町のキャピトル東急ホテル前には約150人が手にプレゼントを持って集合。 ワゴン車のサンルーフから身を乗り出して手を振るマイケルに、泣きじゃくりながら絶叫。 成田空港見学デッキにも100人以上が詰めかけ、飛び立つ飛行機に 「マイケル!」 と叫び続け、最後の別れを惜しんでいた。 マイケルは10日間ほど香港に滞在、次の公演地オーストラリアに向かう予定。 ステージでは超人 素顔はやさしいスーパースター "伝説の雲" に乗って日本にやってきたマイケル・ジャクソンは、我々の前に初めてそのやさしい素顔と、真のスーパースターの存在感を見せつけて日本を去った。 来日前、アメリカから伝えられたうわさは 「ヘビ,ミイラ好き」 「極端な人間嫌い」 「酸素カプセル常用」 など、奇人ぶりを示すものばかりだった。 しかし、41日間の滞日中、マイケルは小学生の歌や踊りに手を叩き、誘拐殺害された功明ちゃんに心から涙を流し、ジャンパーで犯人逮捕に協力する姿勢させ見せた。 ディズニーランドや後楽園ゆうえんちを借り切って遊ぶなど、オフの行動は純心な子供そのもの。ホテル前や行く先々ではファンに必ず手を振った。 そんなマイケルの姿勢が広まり、"追っかけ"ファンは、来日時の7,8人から帰国の時には150人にもふくれあがった。 取材陣に対しても、過剰な拒否反応は見せず、ポーズを取ったりした。 そんな素顔から一変して、ステージでのマイケルは、まさに超人だった。 プロのカメラマンさえ写真がぶれてしまうほど切れのあるダンス,アルバムにこだわらずヒット曲をずらりと並べたサービス精神,ショーの構成,ホテルのベッドルームをダンスフロアに改装させ、そこでけいこを積んだ努力など。 プロ中のプロだった。 あまりにも長い滞在に、追い続ける取材陣から悲鳴も出たが、いつも聞かれたのが 「マドンナよりずっといいやつで救われる」 という声。 "奇人伝説" が晴れ、マイケルは日本で新たな伝説を打ち立てた。 ≪1987年10月20日付 報知新聞 記者/憲≫ |