書き忘れそうなので今のうちに書いておくと、
これって
日本オリジナル制作番組なんですわ~~
も、てっきり海外でOAされた番組を買って日本向けに編集したとばかり‥‥
担当ディレクターさんいわく
「ジャッキーさんもトラビスさんもクーリーさんもネルソンさんもドンさんも
みんな素敵な方でした」。
ディレクターさんも素敵よッ
(≧∀≦)
本題にモドル。
MOTOWN25のOA翌日、
マイケルにTELをかけてきたフレッド・アステア氏は
「きみは私と同じだ」。
ドラムを禁止された黒人たちが始めたタップダンスを差別の色濃い時代に習得したアステア氏は
さらに多種のダンス要素を融合させていった。
サミー・デイヴィスJr.氏も ジェームス・ブラウン氏も結局、ファン層は限られていた。
ーきみは私と同じだ ー
この言葉は、アステア氏からマイケルに渡されたバトンだったのだろう。
そしてバトンを渡されたマイケルは フレッド・アステア氏を超え、
もうその先は誰も見たことのない世界
だが、その道半ばにしてマイケルは‥‥
= BGM: "Childhood" =
もーゼッタイ泣かそうとしてる~~~ 。°(≧ロ≦)°。
トラヴィス・ペイン氏(ダンサー・振付師/43歳) も語る。
"完璧な形じゃないといけない"フェドーラ帽は、1930年代のアステア氏を象徴したもの。
(ただしマイケルは手の位置を90度前にアレンジ)
足首を強調してみせる事も、アステア流。
マイケルがよく言っていたのは
「偉大になりたければ 偉大者に学べ」。
そんなトラヴィス氏自身は、11歳のときMOTOWN25を観て 自らの運命を変えた。
必ずマイケル・ジャクソンと仕事すると決めたからだ。
19歳でマイケルのショートフィルム出演の機会を得、カウント係のような役回りだったが
若さゆえか マイケルに直談判したのだそう。
「お願いですからあなたのそばにいさせて下さい
」 (プロポーズかww
するとマイケルは
「It's Cool, Fine
」。
マイケルは自分の才能を見て気に入ってくれていたのだろう的にさりげに自画自賛w
で 1993年~2009年の間 マイケルと仕事をすることになる。
”Ghosts" に関してはビデオ制作に4年もかかったが
それはマイケルが 「映像技術の進歩を待とう」 と言い出したからだ、と トラヴィス氏。
「常に新しいものを最高の形でというのは、時間が必要」。
実際には "Ghosts" がいったん頓挫したのには 他の理由も複合的にあるわけだけど、
たしかにCG技術は特に日進月歩な時期で、マイケルの言い分もまた真実のひとつだと思う。
付き人のネルソン氏は、突如として17年の契約終了が告げられた。
周りを取り巻く人間が増え、マイケルと話せない状況になっていったという‥‥
それでもマイケルがたまに自分を見つけると 「ネルソーン
」。(^∇^)/
「うれしかった」。
それでもやはり、マイケルにTELをかけて仕事をほしいとかの直訴は出来なかったそう。
しかしそんな状況を不幸がるよりも、ネルソン氏は
マイケルと一緒に過ごせて幸せだったと思うことにしたのだとか‥‥
有難うございました (つ_≦)
ジャッキー兄は
「嫉妬なんて全くない。弟なんだから」
「マイケルの才能は解っていた」
トラヴィス・ペイン氏は、今でも頭の中で聞こえるそう。
「もっと行けるだろ?」 「それでいいの?」そうささやくマイケルの声が
途中、この写真を映し出して
マイケルが白人になりたがっているという風評が出始めた事も取り上げてた。
そのとたん頭の中タイムスリップしちゃって TVあんま聴いてなかった "<(´~`;
それで白斑の病気のこともちゃんとナレーションで語られ、
文字としても "白斑" と記し、視覚と聴覚のダブルで視聴者に理解を求めていた。
ほんとにイイ番組だった~~
も、えねーちけー方面に足向けて寝られんナ
そしてダビってくれる s氏邸方面へも (拝
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