こないだ来日していたジョー父と会っていた
古賀賢治さんについて
2週間前、ちょこっと書いたところでしたが
ついに
ガッツリ出てきましたよーー
22年前、マイケルと2人でもくろんでいたプロジェクトの詳細がっ
その名称は、
『Michael Jackson Wonder World Of Toys』 (略称: MJWWT)DANGEROUSツアーが始まる頃からの半年間、
マイケルがひそかに練っていた構想を・頭の中でのイメージを具現化させるべく
白羽の矢が立ったのが、古賀賢治さん。
日本を発つまでの10日間以内にイラスト化してほしい、という依頼。
1992年12月22日~新年1月1日の早朝まで連日ミーティング
以下、古賀氏のインタビューより部分抜粋 (※英文ゆえ和訳がヘンなら済まぬ
マイケルは、
「今夜あなたに会うまでの今年後半、ぼくは世界中の貧しい子供たちを解放する 『MJWWT』 という遊園地について考えていました。
この10日間で、ぼくの頭にあるものをイラスト化して欲しいと思います。」私が 『MJWWT』 という名称の概念を理解するまで、マイケルは夜明けまで話し続けました。
それから12月24日・クリスマスイブの夜に、
「いくつかスケッチに描き起こしてくれない事には概念を把握できないよ」
とマイケルに言いました。親友に話すがごとくな調子で。
それでマイケルは、各部の詳細を解説したスケッチしてくれたのでした。
1週間後、私は数枚のイラストを無事に描き終え、マイケルに渡せました。
そう
マイケルの遊園地の構想とは、
なんと 1年中クリスマスをメインテーマにしたスケートリンクだったのでした。
このイラストを描いた ほんの数日後、
自分がリズからクリスマスを祝われた時は罪悪感で隠れてメソメソしたくせに
世界の不遇な子供たちには むしろ積極的に祝ってあげたいとは‥‥
本当はどれだけクリスマスに憧れていたのかと思うと、せつない
正面ゲートの扉には、『MJWWT』 のロゴ。
このロゴを、マイケルはとても気に入っていた。
ゲートのデザインは、マイケルがバロック調を指定。
ゲート中央にバブルス君の飾りをデザインすると、マイケルは笑って
「彼ってば、ぼくのトイレを使うんだよ!」ゲートの両端には、たくさんの動物を映し出すためのSONY開発のジャンボトロンを設置。
当時ソニー会長だった盛田氏に対する多大なる敬意もあっての事。
マイケルが
「絶対ジャンボトロンを壁に設置しなきゃ!」と言ったので、それを描きました。
マイケルは言いました。
「この氷のスケートリンクは夜、光と共に現れます。
たくさんの花火を打ち上げるんだ。
スケートリンクの下にロゴが見えるようには出来ますか?」ご覧の通り、多数の花火は、中心に素晴らしいライティングがあるクリスマス・ツリーと象の台の上に置かれた噴水のある夜空にどんどん打ち上げられます。
マイケルは、クリスマス・ツリーと噴水と花火を催すことに、何らかの理由で非常に好みが細かいです。
マイケルも、ゴシック調の石材の建物を使うことに非常にうるさかったです。
この部分は、構造上のデザインの彼の概念を確かめることになっています。
彼は、特に噴水のデザインにうるさかったです。
噴水の両側に置かれる天使たちは、マイケルによる特別な要請でした。
2階で食事をする人々は、アイスリンクの眺めを楽しんでいます。
マイケルの言葉: 「一年中光を絶やさないクリスマスツリーを描いて下さい」
「クリスマスツリーの下には、噴水が要ります」
「星降る夜空の満月を描いて下さい」
「ここのスケートリンクでは、世界中からやって来た子供たちがスケートをするんだ」
「ぼくが本当に欲しいものは、光でいっぱいの世界。大量の光で覆われている世界」
「たくさんの花火が夜空に打ち上げたい」
「毎日あるアトラクションのメインは、オモチャの兵隊のパレード」
「ここは一年中クリスマスなんだ」
「リンクでスケートをしている人々を描いて下さい。さまざまな国の子供たちで。
「重要なのは、満月。とっても大きな満月を」前夜、東京ドームで大みそかのカウントダウンがありました。マイケルはアメリカに発つ前に古賀氏に会って完成した概念図を受け取るために早く出ました。
完成したイラストを、カジュアルなパジャマ姿のマイケルに手渡すと、すぐにマイケルの目は涙があふれそうになっていました。
そして3時間後、マイケルは成田空港へ向かうのでした。
≪1993年1月1日 午前3時ごろ @キャピトル東急ホテル≫ MJWWTの本当のインスピレーションと意味は、まだ判っていません、
マイケルと過ごした奇跡的な10日を私がどんなに覚えていても、マイケル本人は安らかに眠っているかもしれません。
マイケルにとって、まるで地球が大きなオモチャになったのが 『Wonder World of Toys』 の構想だったのではと思っています。
地球と人間は、環境破壊と戦争で苦しんでいます。
これらの問題で最も多くの影響を受けるのは子供たちです。
子供たちは楽しみを受け入れます、そしてオモチャは喜びの表現です。
この遊園地でマイケルは、「地球」を大きなスケールで見たいと思っているようでした。
マイケルのすばらしい感度と創造性は、音楽と視覚芸術で莫大な量の傑作とともに私たちに残しました。
これらの傑作の1つ 『THIS IS IT』で、最後の数分間、マイケルはメッセージを私たちに残しました…
「私たちに残された時間は、わずか5年です。」これは何を意味するのでしょうか?
彼は、MJWWTを通して人間と地球が将来どうあるべきかを伝えたがっていたのでしょうか?
彼が最も伝えたがっていたメッセージは…
「私たち人間が暮らすこの美しい地球を愛して下さい。
そして戦争と環境破壊を止めて下さい。
差別と対立をやめて下さい。
子供たちは、我々が将来を託す地球の宝です。」心の中とMJWWTにそのような情熱を込めてマイケルは、世界中の戦争の鎮火と 私たちが住んでいる環境を維持すべく、自分のありったけの強さとありったけの魂をもって音楽を通してメッセージを送り続けたのです。
ところで、この
Michael Jackson Wonder World Of Toysという名称におぼえのある御仁は、ナイス記憶力
その5年半後・1998年7月に来日した際、
【マイケル・ジャクソン・ジャパン(株) 設立記者発表会】@ホテルオークラにて
マイケル自身も語った事業展開の1つに、『Wonder World Of Toys』 がありました。
(その時には、MJグッズ・世界中のオモチャを集めた玩具チェーン展開に構想が変わってましたが)
この時にも古賀氏、どうやら関わってたもよう。
先日のD覚氏関連のジョー父来日時に会ったのって すごいトートツ感だったけど、
これで理由がつながって納得
ジョー父たちのプランには、このMJWWT構想も入ってると見た。
だからこそ 今回、このインタビューもなされたのでは?
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