冨田勲さんの朝日夕刊インタビュー連載は、先週火曜~今週金曜まで全9回。
んで 結局 (やっぱし)、マイケルの名前はまったく出てきませんでした~~
が、1つ判明したことが。
'88年、【ぎふ中部未来博】 の一環として長良川を舞台に上演したことについて
冨田氏いわく、
「スティービー・ワンダーが映像で参加してくれた。
“月の光” を聴いた彼が、僕の仕事場を訪ねてきた縁です。
地元の子供たちが自作の竹笛を吹くとスティービーがUFOで現れる設定を説明したら、『スピルバーグの世界だね』 と。
彼の日本ツアー中に撮影しましたが、短いシーンなのに納得いくまで撮り直し、18時間かかりました。」
えっ‥‥
スティービーも、あのアルバムを聴いて冨田氏ん家に訪問を
こ~れはもう、マイケルかスティービーか
先にヤッた方が報告して
もう1人が 「じゃあ僕も日本に行った時に
」 って事だったとしか‥‥
さて、どっちが先に訪問したのでしょう? れっつら検証~w
その頃スティービーの来日(在京)は、'85年秋 & '88年春。
スティービーが自宅訪問したのが前者ならスティービーが先、後者ならマイケルが先。
(※
マイケルが訪問したのは'87年9月24日)
ここでネックになるのが、【ぎふ中部未来博】 での長良川イベント。
これは'88年7月22日に行なわれたもので、1年前から子供たちは練習スタートしたとか。
つまり、'87年夏にはもう全体構想は固まってたわけで。
つー事は
'88年春にスティービーが自宅訪問&イベント話を振る&スケジュール調整&撮影 (@すべて1週間以内)
‥‥ってのは すげぃムリあるし、実際ムリww
というわけで
スティービーが冨田氏の自宅訪問したのは '85年秋。
ゆえに、スティービーが先。
そかー
マイケルって、坂崎ニーナさんいわく
「すぐヒトの自宅に行きたがる」 人間ではあれど
それにしたって冨田氏のご自宅アポなし訪問って、トートツ感がすごくて不思議だったんよぬw
スティービーがそそのかしたせい(?)だったのかー
ようやく納得
≪'87年11月20日 豪・シドニー公演≫
「僕もこないだトミタん家いっちゃった~~
」 「まぢで~~
」
「しかもアポなしで~~
」 「まぢでーーっ
」
その 「UFOで現れるスティービー」 のイベント、
映像ありますた
「トミタ・サウンドクラウド・イン・長良川」
(テーマ「人間讃歌」)
マイケルのマの字も載ってない記事からだって
マイケルネタを得ることは出来るのだ
(相当ゴーインだがぬw
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