だれが見たマイケルもマイケルであって
だれが見たマイケルもマイケルではない
もう少し細かく言うと
だれが見たマイケル・ジャクソンもマイケル・ジャクソンであって
だれが見たマイケル・ジャクソンもマイケル・ジョゼフ・ジャクソンではない
さらに言うと
マイケル・ジョゼフ・ジャクソン自身、
マイケル・ジャクソンを見失いそうな時もあったかも
THIS IS ITコンサートでファンの好きな曲を募ったのは
ファンサービスの意味だけじゃなく
自他の 『マイケル・ジャクソン視感』 の誤差へ対する不安がそうさせたのでは…
フルLIVEのブランクが12年とあっては、その誤差が自分でも見当もつかないだろう
世のファン達の想像以上にマイケルは、誤差に対し 不安を超えて恐怖にすら感じていたのでは…
マイケル・ジャクソンとして立つことに、ものすごい責任感とハンパない義務感
そのレベルは、ただ一言 「壮絶」。
そして
マイケル・ジョゼフ・ジャクソンは、マイケル・ジャクソンをついに死守した
文字どおり…
なんとなく そう思う
だから私は
真実の追求をとるか
イメージの死守をとるか
‥‥という分岐点に立つ場合、以前とは違って 後者を選ぶ
マイケルが守り抜いた 『マイケル・ジャクソン』 を,
ファンを喜びで驚かせ これはすごいと絶賛される 『マイケル・ジャクソン』 を,
広く信じてもらいたがっていた 『マイケル・ジャクソン』 のイメージに対する誇りを
微力ながら守る方向性で、私はファンLIFEを全うしたい
舞台裏に人知れず置いてきたマイケル・ジョゼフ・ジャクソンの涙を
私の立場で積極的に知ろうとしちゃいけない
これも文字どおり
「マイケルのことだから 死んでもそれを望むまい」 と思うから
(これ、リー君と激似
言われたら信じてまうレベル (大汗)
時々こうして言葉にして 自分にクギ刺しとかないと
「おまいはもういろいろ調べちゃダメ~~」
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