◆その1◆昨日の
【ひるおび!】@TBS、
『レディー・ガガ来日!外国人スターフィーバー列伝』 つって マイケルの事も扱ってたのね…
言っといてや~~
o 1987年に成田空港に来日した際はペットのバブルス君も一緒であることも注目された
o TDLではミッキーマウスが直々に案内。一番気に入ってる乗り物はスペースマウンテンであるという
o 1996年にも東京都渋谷区や北区などのイベントに参加するなど親日家として知られていた
ラストの「北区」って2006年の話よぬ。
「渋谷区」は、タワレコ手形式なら1996年で正解・代々木のMTV-VMAJなら2006年。
それぞれ映像も使われたんだろうし、観れば一目瞭然だったのに~~
◆その2◆調子こいて吹きまくってる元ボディガードの
マット・フィデス氏。
自分はブランケット君の実の父親だとか
マイケルとホイットニーとは1991年 恋愛関係にあっただとか
マイケルが薬でラリりながらボディガードに弟ランディを撃つよう命じただとか…
ホイットニーと終わったのは実兄ジャーさんとの関係を知ったマイケルが激怒したからっつーけど、
ジャーさん本人が、80年代半ば1年間にわたる不倫を止めるようマイケルから説得されたと語ってるのに
タイムテーブル面でも完全に話がおかしい。
ランディ側はそのSUN紙に持ち込まれたトンデモ報道に対し、TMZに 「真実から掛け離れてる」 と反論。
ジャクソン家としては、フィデスを法廷に引きずり出すよりもスルーの道を選ぶそう。
なぜなら、アホらしーから。
◆その3◆先日4/29に亡くなった写真家のジム・マックラリー氏(享年72歳)の訃報記事。
LA Times原文:
http://articles.latimes.com/2012/may/06/local/la-me-jim-mccrary-20120506 Billboard JAPAN:
http://www.billboard-japan.com/system/d_news/detail/9180ビルボードからマイケル関連部分を引用すると:
若き日のマイケル・ジャクソンとの仕事がきっかけで、その後はロック写真に興味を失ってしまった写真家のジム・マックラリーが、先月72歳でこの世を去っていたことがわかった。
= 中 略 =
1970年代末までに、マックラリーは様々なジャンルの若手アーティストを手掛けるようになり、中には彼がまったく知らないアーティストも含まれていた。
そんな1人がマイケル・ジャクソンで、彼はこの若者のアルバム『オフ・ザ・ウォール』のジャケット写真を撮影してほしいという依頼を受けたのだ。
そして撮影現場でマイケルの緊張を和らげるために一緒に踊るよう命じられた姪のコリーンさんによると、いざ写真撮影が始まろうとした時、近くのラジオから流れていた音楽が「今夜はドント・ストップ」だったのにも関わらず、マックラリーはそれが被写体であるマイケルの曲とは知らずにほかのチャンネルへと切り替えてしまったのだという。
「叔父はまったくマイケルの曲を知らなかったのです。それで私は慌てて 『ダメ、それは彼の曲なのよ!』と叫びました。マイケルと彼のマネージャーの顔を見たら、それはもう呆気に取られてましたね」。
しかしマイケルはマックラリーが撮影した写真を一切使わず、このことが彼をロック写真から遠ざける原因になったのだろうとコリーンさんは語っている。
姪御さんの話どおりなら、コレらがOTWのジャケになったかも
はあ?
アルバムジャケを撮影をしようという時期に、その収録曲の1曲が既にラジオで流れてたって?ww
「今夜はドント・ストップ」はたしかに先行シングルだったけど、アルバムよりほんの2週間前のリリース。
たった2週間の間に、ジャケ撮影&選定&撮り直し&デザイン&印刷 → 全世界へ流通???
オカシイっしょ
その時のものらしきスチール写真をみるに、1979年春ごろと思われ。(7月1日までにはアフロヘアは短くカット)
そんな時期に、いかにラジオ局のフェイントとしても
7月28日発売の 「今夜はドント・ストップ」を1ヶ月も2ヶ月も3ヶ月も前倒しでプレイするだなんて有り得ん。
で、実際には何の曲で2人で踊ったの~? ← コレが一番のぷちストレスw
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