(
某さん、お待たせしましたw
)
デール・カワシマ氏は、アメリカの音楽業界では著名な人物です。
現在、独立系音楽出版会社社長 兼 ホリプロの海外系グループ会社のエグゼクティヴ・コンサルタントに就き、
かつてはマイケルの所有する音楽出版会社
『ATV Music』 の
社長でもありました。
そんなカワシマ氏、あの日の数日後に手記を書かれていたので
例によってテケトーに和訳してみますた
****************
【マイケル・ジャクソンとの仕事の想い出】
記: 2009年6月末
ソニーと合併し『Sony/ATV Music』となる以前の 『ATV Music』の社長として、
私は4年半にわたりマイケル・ジャクソンと直接仕事をするという栄誉を授かっていました。
この度の非常に嘆かわしい早すぎる彼の逝去にあたり、私は偉大なアーティストであり1人の人間マイケル・ジャクソンとの仕事の思い出を語り伝えたい衝動に駆られたわけです。
≪1985年8月10日付で マイケルはATVカタログをロバート・ホームズ氏から4,750万ドルで獲得≫
あれは1987年の晩夏、マイケルの優秀な顧問弁護士であるジョン·ブランカ氏が私に連絡を寄こしました。
ブランカ弁護士は、プリンスやB.スプリングスティーンやボブ・ディランの曲カタログで独立した出版社を持ちソングプラッガーでもあった私の現職を熟知していました。
そして私に、ビートルズやリトル·リチャード等のヒット曲を膨大に含む最高水準のカタログを抱えた 『ATV Music』の社長の座を準備していると告げ、ついてはマイケル・ジャクソンと面接する意思があるか? と尋いてきたのです。
間違いなく、私のキャリアの中で最大の瞬間でした。
もちろん非常に興味があると答え、マイケルとの面接用プレゼンテーションの準備に取りかかりました。
1週間後、"BAD" ショートフィルムの撮影セットで マイケルのトレーラーの中で彼に会いました。
マイケルは私のプレゼンを気に入り、雇われることになったのです!
≪分刻みの撮影現場でも雇用面接を!(驚)≫
まもなくマイケルは BADツアーを開始させ、私も会議のために東京へ・はたまたロンドンへと飛び回りました。
大阪→東京の新幹線で、マイケルとサシでミーティングしたことを憶えています。
≪異国のローカル移動時すら まったりしていない超絶多忙&仕事中毒エピソードの数々‥‥≫
そこで働いていた期間じゅう、マイケルとはATVの事業について電話で定期的に話したものです。
マイケルは音楽出版事業に深い愛情を持っていて、偉大なビートルズのカタログを管理できて光栄だと語っていました。
躍進するATVカタログに加え、私はマイケル自身の曲のカタログ 『Mijac Music』(ワーナー・チャペルミュージックが管理)の代理人にもなりました。
マイケルが興味を持った新たなソングライター/プロデューサーに、私も署名しました。
マイケルのお気に入りの1人は作詞家のブライアン・ローレン氏で、一緒に多くのプロジェクトやセッションに取り組んでいました。
≪マイケルがバックボーカルの "To Satisfy You" 収録≫
ATVでのマイケルとの仕事は、いつだって非常にプラスになる経験ばかりでした。
彼はとても素晴らしくてヒトから好かれている、働くことに喜びを見出しているような人物でした。
マイケルは自分の音楽出版事業に非常に熱心で、我々は会社を構築し さらに曲カタログを取得する術を議論したものです。
マイケルと仕事をする経験は良いことづくめで、彼についてのネガティブな話のすべてが私には不可解でした。
アーヴィン・エイゾフ氏の 『ジャイアント音楽出版』社長に転任するため 1991年末にATVから離れた後ですら、私にはマイケルとの仕事に良い想い出だけがあり続けました。
そりゃたしかに、彼の外観は長年の間に変わりました。
しかしマイケルは素晴らしい人間で、
世間のネガティブなイメージと 私が実際に知っている穏やかで優しいマイケルとは合致などしませんでした。
≪1995年11月8日付で SONYとATVが合併、『SONY/ATV Music』 に。配分は現在も50:50≫
ATVを離れてから8年後の1999年、私はマイケルと予期せぬ再会をしました。
彼の第一側近の1人が私に連絡をつけてきて、マイケルが私の再雇用について話をしたがっていると言うのです。
私は、マイケルに会いに ビバリーヒルズ・ホテルのスイートルームへ出向きました。
マイケルとの素晴らしい再会です。
スイートにいたのは、マイケルと長男のプリンス君の2人だけでした。
マイケルが息子と良好な関係にあることは火を見るより明らかで、ホテルのスイートルームで自分のおもちゃで遊ぶプリンス君は ごく普通の幸せな男の子にしか見えませんでした。
≪幼い我が子の扱いについてイロイロ言われていた件の是正も織り込んで下さった…(拝)≫
マイケルは、『Sony/ATV Music』 と 『Mijac Music』 の2つの出版社間の連携担当という新しいポストについて、私に説明しました。
それはそれはとても満ち足りた会議で、最後にマイケルはこう言ったのです。
「Michael Jackson & Dale Kawashima – back together again!」結局は、マイケルに財政的な問題が勃発し始めたため、私は再び雇われることはありませんでした。
しかし そうではあっても、この1999年の会議とそれ以降のマイケルからの電話は、マイケルに対する好印象を改めて再認識させられたのみです。
思うに、マイケルはKING OF POPと呼ばれるにふさわしい偉大なアーティストであるだけでなく、彼のことを真に知る人々の殆んどから愛された素晴らしい人物だったのです。
<追伸>手記から数ヶ月が経ち、いま私は 映画【THIS IS IT】をいたく気に入っているところです。
私の知るマイケル同様に彼を前向きに描いてある事に、とても嬉しく思います。
まだ観ていない方には、ぜひ強くお勧めします。
マイケル・ジャクソンが実際にどんな人物だったかを知りたくば、この映画を観れば良いのです。
PR