「マイケルは振り付けと振り付けの狭間も遊んでいない」とは、ダンサー系男子ファンたちと昔よくネット上で熱く語った事だけど
「マイケルは音符と音符の狭間も遊んでいない」とは、昨日歩きながら "Human Nature" の丁寧な歌いっぷりを聴いててしみじみ思った事。
“遊んでいない”ってのは、途切れていないという事。
要するに、作品が1枚皮という事。 (なんとなく解ってー
そう思ったとたん、道ばたにしゃがみ込んで大声で泣きたくなった。
さすがにソレは理性で抑えたけど、涙ぶわ~~は抑えられず。
どっちかを十二分に持つ人は存在しても、両方ともとなると、少なくとも私は知らない。
てか
マイケルを 『シンガー』とか 『ダンサー』とかって呼ぶのは微妙に違和感。
その2つだけでは説明のつかない、
『表現者』。
けど 『表現者』というのも、実はちょっと違うと思う。 (自分で言っといてw
マイケルが自称してた 『媒体者』はかなり近いけど、
まだ言い足りてないように思う。
正解は‥‥
正解は、誰かが 「こうだ」と決めるものではなく
マイケルを愛す人それぞれの中に住むマイケルが雄弁に語っていること、それが正解。
遺された人々がこんなふうに考える人間って、これまでもこれからも出現するのかなあ?
「彼って何者だったんだろう」 だなんて‥‥。
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