東京でサクラの開花宣言があった3月28日(月) は、
両親の金婚式&父親の傘寿の日。
やれ めでたや
で、そのお祝いについて
今年に入ってから姉に相談。
旅行は母がニガテなので除外 = 会食に決定。
「じゃあ今回は、あえて “オリジナルの4人家族”(両親&実子) だけにしよう」 と、姉の妙案。
おぉ~~
そんな食卓って、さりげに20数年ぶりじゃん
(※常にコブ付きだもんで
それから日数をかけ、お店をいろっいろ吟味しまくり。
その末に決めた目黒雅◆園のコンシェルジュさんと何度となくメールやTELで打合せして…
乾杯のお酒は父が純金箔入り日本酒で他はスパークリングワインでだの
ケーキのチョコプレートにはこう書いてくれだの
花束の色味はこれこれでだの何だの…
ソレが
東日本大震災で計画が大狂い。
10日前を切った段階で、場所から何から1からやり直しのハメに…
手製の招待状を作って、夜中のうちに両親それぞれの机に置いて
企画サプライズ公開したばっかだっつー… orz
しかし、テンション落としてるヒマなどない。
記念日の前日(27日)になっちったけど
某会席料理のお店で、コース&個室をどうにかリザーブ。
帳場の奥に おかみ&朝青龍のツーショ写真が飾られてた
花束は、お店近くのフラワーショップに出向いて相談し
お店側には当日1時間前に花束を持ち込むので預かってくれるようあらかじめ依頼し
これも解決。
のちにリビングに飾られのの
ほかに、これも吟味に悩むだろうと覚悟していた傘寿祝いの記念品は、
父が置物で蒐集するほど好きなフクロウが蒔絵で施されたプラチナの筆記具を見つけ、大ラッキー
会議が多く勤勉家な父なので、もうコレしか考えられない。
ゴールドで名前を彫ってもらった。
ボールペン2色&シャーペンの複合ペンで、実用的でもある
前日~当日にかけては、バースデーケーキを作りのの。
前日が土台焼き・当日はデコり。
あ――も―― 本当なら目黒雅◆園でコミで作ってもらえたのに~~
てか イチゴ高けぇー。
抹茶クリーム&黒ごまプリンクリーム。 上のお花はマシュマロ
等々で あまりにテンパり過ぎてて
震災の前、姉に提案していた “その他の身内も含めた寄せ書き色紙” のことを完全忘却。
当日に姉からメールで
「色紙作ってきたよ。アンタの書くとこ空けといたから渡したらすぐ書いてね」
と言われて あ‥‥って。
夕方、ウチに着いた姉からササッと手渡され
ソッコー書かなきゃ
と自室に引きこもって開いた瞬間、落涙しそうに。
泣いたらあか――ん
化粧直す時間なんかな―――いッ
(気合い@へそ
そして
肝心の会食は‥‥
個室のお座敷が思ってたより広めだったので、逆にちょっち落ち着かずw
が、ソレもすぐに慣れ、話好きな姉が中心となって 絶え間なくおしゃべり。
食事の前に、お店側に預けていた花束を差し出すと
母が泣いてもたw
続いて、義兄(姉のダンナ)からの九谷焼セットやら 先のプラチナペンも贈呈し
色紙を姉から渡す時、
「絶対また泣くからカメラは止めてムービーにしよ
」 と切り替えるも、
ヘンに(?)熟読モードに入っちまいのの。
いっくらムービー回してても色紙を黙読してるジミ~な画しか録れやしねぇ。
料理は、良い感じに薄味だった。
偏食家&少食のワタシなのだが、残さずたいらげた。
ししとうを除いて。w
2時間で押さえてた個室だったけど、仲居さんが 「ごゆっくり」 という事で
結果的に2時間半ちょい居た。
そして終盤、デザートの前にトイレへ立つふりして会計。
油断してると先に支払っちまいかねない両親なのだ…
だもんで、姉にも前もって 「私が終盤ボーッとしてたら急っついてね」 と頼んでいた。
で、会計してくれたおかみさんが
「ビール代にしかならないけれど」
と、端数を切り捨ててくれた。 (領収書の方は もとの代金で書いてくれた)
時間といい 代金といい、ほかにも母に特別にお茶を淹れてくれたり等々
なぜこんなに便宜を計ってくれたかというと、
予約時、お店側の手違いで少し手間取らされたという事があったのだった。
TELでも 先に花を預けに行った時も すごく謝って戴いたし
私も超おめでたいイベントなので最上級に機嫌よく応対してたというのも効いたもよう。
今週の標語 :
ゴキゲンはゴキゲンを生む。ところで3月28日の朝、TV観てたら
『きょうが誕生日の有名人』 をテロップで流してた。
おやぢとレディー・ガガ、同じ誕生日かよ
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