この話、ごっつ概要ではニュースで聞いたことあったけど
当事者のお孫さんによる詳細な手記をげっとん
「'97年12月」 とだけ記述してあったけど、そこは逆にニュースで
「'97年12月18日」 の出来事だと判っとりまん
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'97年12月。
私の母方の祖父母ジョセフ&コンセッタは、JFK → LAの機上にいました。
エコノミー席に着き、Xmasを私の家で過ごすべく向かっているところだったのです。
2時間後、おばあちゃんの胃は痛み出し、具合が悪くなってしまいました。
通路で寝かされている間、意識がありませんでした。
目が覚めてすぐ視界に入ったのは、自分を見つめ下ろすおじいちゃんと
手を握ってくれているマイケル・ジャクソンでした。
「Are you OK?」マイケルは優雅な声で尋き、おばあちゃんを助け起こしました。
そしておじいちゃんに、2人でファーストクラスへ移動するよう誘いました。
(※もちろんCAに変更依頼済み/当時のニュースより)おじいちゃん達は、ありがたく受け入れました。
おばあちゃんが休む間、おじいちゃんはファーストクラスのサービスを楽しみ、
マイケルは話し相手になってくれました。
家族のことや、食べ物や、イタリアのこと(おじいちゃんの得意分野)など
おしゃべりを楽しみました。
[ 飛行機でファーストクラスのメニューに書いたサイン ] 着陸と同時にマイケルは、LA国際空港から渓谷にある私の家まで
車で送ると申し出てくれて、これも受け入れました。
空港から車椅子を押し、おじいちゃん達はマイケルのリムジンへと進みます。
しかしパパラッチを避けるため、マイケルのセキュリティーによって
3つのリムジンを乗り継ぐことを余儀なくされました。
405N(道路?)でようやく落ち着き、この頃マイケルの好きだった映画
『メン・イン・ブラック』 を車内で一緒に観ました。
彼らが私の家に着き、ドアを開けた母は、玄関に立っている自分の両親と
そのそばに彼らのバッグを持って立っているマイケル・ジャクソンを
目のあたりにしました。
マイケルは家に入り、バッグを置き、Xmasツリーの前に立ち尽くしました。
その美しさと家族の結びつきに心を奪われている様子でした。
母は衝撃のあまり、この出来事を残すためカメラをつかむ事が出来ず、
その代わり、後日のXmasパーティーへ是非、と誘いました。
マイケルは招待を礼儀正しく丁重に断わりました。
そして彼はリムジンに戻り、ネバーランドに帰ります。
写真を撮られずに済んでいたその間、マイケルは
本物の親切とハートと魂のこもった信じがたいような思い出を我々に残し、
去って行ったのでした。
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ちなみにこの2日前、
試合を控えた英国チャンプのプリンス・ナジム・ハメド選手に会いに
NYのボクシング・ジムを訪問。
ハメド選手とは、HISツアー時に楽屋訪問を受けて以来 仲良くなったらし。
19日のMSGでの試合に招待されて承諾したと伝えられてたけど
前日に帰宅してたっつー事になるよぬ
まだ1歳にもならないプリちゃんが待ってるもんね
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