7/4の日記で、中尾彬氏が
「ベルリンの壁はマイケルが壊したとドイツの知人が言ってた」という発言。
(「壊した」 は、もちろん比喩)
それをある意味で裏づけるのは、 7/30(木)公開された
旧東ドイツの秘密警察シュタージ(Stasi)の、'88年5月4日付の書類。
別に厳重保管はされておらず、フツーにファイルされてたとか…
ま、翌年ゴタついたからねぃ。(どころぢゃねーし
'88年6月19日の、ブランデンブルク門近くの西ベルリン公演を聴こうと
「壁」 らへんに集まってくる東ベルリンの若者たちと警察との衝突を懸念し
旧東ドイツの当局はド警戒モードだったとな。
そんなんを避けるため、シュタージ側は
2分遅れのLIVE中継の計画まで立てのの。(が、実行されず)
集結したファン達を弾圧した私服のシュタージ軍団は
西ドイツの公共放送の取材陣までをも妨害したため、
西ドイツ政府が東ドイツ政府を公式に抗議した、という騒ぎも。
'88年6月19日、西ベルリンLIVE中のマイケル 翌年への
気運や意識の下地など、そういったものが
人民レベルで具体的に作られ広まったキッカケの1つ、
ではあると思う。
まぢで。
数ヶ月前までなら
「1アーティストにそんな社会的影響力あっかよ」
って、ファンですら99%が笑っただろうけど、もうワカルっしょ
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