山梨の毎日新聞より
'80夏、マイケルを撮影した
冨塚晴夫さんのお話。
新聞記事のURLはすぐ消えてしまうことがあるので
本当はマズイんだけど、転載します;
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世界的人気を誇った歌手のマイケル・ジャクソンさん(50)の急死は、県内にも衝撃をもたらした。
アイドル歌手として頭角を現し始めていた21歳のマイケルさんを撮影した日本写真家協会会員の写真家、冨塚晴夫さん(61)=山中湖村平野= に世紀のスーパースターの思い出を振り返ってもらった。
「あのはにかんだ笑顔が忘れられません」
と冨塚さんは目を細める。
冨塚さんがマイケルさんと出会ったのは80年の夏。
日大芸術学部を卒業後、ハリウッドでフリーカメラマンとして広告写真や俳優・ミュージシャンを撮影していたころだ。
レコード会社から
「マイケルを日本の音楽雑誌に掲載したい」
と依頼が来たのだ。
指定されたレコーディングスタジオには屈強なボディーガードが立ち、物々しい雰囲気が漂っていた。
しかし、ドアを開けた瞬間、マイケルさんは満面の笑みで冨塚さんを迎え、
「ハイ、トミー!」
と声をかけてきた。
当時、マイケルさんはジャクソン5の1人として人気急上昇中だった。
「大物だから、指示通りには動いてくれないだろう」
と思っていたが、撮影が始まると、予想は見事に裏切られた。
その仕草から受ける印象は 【恥ずかしがり屋の少年】。
冨塚さんが
「こっちを向いて」
と指示すると、あどけなさが残る照れたような笑顔を見せた。
マイケルさんはその2年後の82年、グラミー賞8部門を独占し (※原文のまま)、
1億400万枚を売り上げたアルバム「スリラー」を発売、世界的な名声を確立する。
しかしその時は
「大スターという印象からはかけ離れていた」
と冨塚さんは振り返る。
約1時間かけ、ジャクソン5メンバーの兄弟たちとビリヤードやピンボールを楽しんだり、スタジオで発声練習をするマイケルさんを撮影。
最後に法被(はっぴ)を記念に渡したところ、マイケルさんは
「本当にありがとう」
と大喜びで法被に袖を通したという。
冨塚さんは26日朝、自身が経営する写真ギャラリーのテレビでマイケルさんの訃報を知った。
「本当にショックです。」
「撮影後もずっとテレビなどを通じて彼を見続けてきました。
変なニュースばかりが入ってきた時期もあったけど、あどけない笑顔の、あのころのままの人だったと思う。
彼を撮影できたことは私にとって一番の財産です」
と寂しげに話した。
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どうもありがとうございました
って ボロ泣き…
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