備忘録なのでちょい長い~
よもやま系で、そういうのがあと1ネタある‥‥
マイケル関係はおあずけ♪
てか
ここのブログ、クローズしてるはずなんだがwww
10/23(水)、早朝から地元の総合病院へ。
MRI(初体験)と、レントゲンを撮った。
睡眠1時間で被爆するのはキツかった、とTwitterにも書いたけど、帰宅後爆睡して夜も爆睡したのは放射線のせいではない(わかっとるわ
ここ3ヶ月間ずっと左腕全体にあった痛みにただならぬものを感じ、ようやく病院に駆け込む気になったのだった。
原因は、何かをしたからというわけではなく、7月中旬のある朝起きた時 もう既に左腕が痛かった。
そのちょっと前に、左腕を体の下敷きにして寝てしまって軽く痛めたりしびれてたりが2,3回続けてあったので、「またやらかしたか」と思っていた。
が、いつものように数時間で痛みが引くこともなく‥‥
常に痛いのではなく、動かし方によって痛み、その箇所も変わる。
筋肉とスジ? 骨もかな?
肩関節は痛くないので、四十肩/五十肩の類ではないな、と判断。
具体的に痛い部署が自分でもよく判らず、その事もまた病院行きを先送りにしていた要因。
どうも私は痛みやつらみをうまく伝える自信がなく、医者にかかった後は毎度ガックリ来ているのだ。
「今回もうまく伝えられなかった…」「ああ言えば・こう言えば良かったのかも」と後悔しきり。
けど今回は、1ヶ月経つ頃には
「でもやっぱりこれってウワサの四十肩/五十肩ってヤツかな」
「そしたら積極的に動かさんと固まっちゃうんだよな」
と自己判断し、病院に行かなくても自分で治せる案件だとの意を強くしていた。
2,3週間前、真上に手が上げられた頃までは。
しかし最近になり、急激に状態が悪化。
着替えが困難になってきた。
上着を着るのもツライ。
腰に手を当てるのも出来なくなり、必然的にトイレのおパンツ脱着もツラくなってきた。
これ以上 可動域が狭くなってはマズイ‥‥
ていうか、
左腕だけでなく右腕まで発症したら日常生活ヤバイ。
ていうか、
〇十肩じゃなくて別の神経系疾病で、足に同じ症状が来たら人生に大きく関わる。
病院に行かないともうダメだわこれ
以前、別の骨を痛めて行った事のある近所の整形外科に行こうと思ったけど、もう最初っから大きな総合病院の方が 「では紹介状を」みたいな面倒なくて良いだろうという事で、母が通って「この先生良かったよ」と言っていた少し離れた総合病院へ。
初診申込書は事前にパクってきたものの 問診票はパクれなかったので、医者に直訴する内容も含めて思いつくままに書きなぐった。
いいかげん寝なきゃって時に。
なので1時間睡眠になってもーたのだったw
既往症は大した事書いてないけど病院名とかあるのでモザイク~
ネットで複数の整形外科の問診票をチェックしていたが、その病院ではそれらよりも細かめに書くようになっていたので、記入に時間がかかってしまった。
その為か診察開始時刻から1時間近く待ってしまったが、いったん呼ばれた後は忙しいほどにスムーズだった。
診察室で直接問診 → MRI → レントゲン
→ 再度診察室で診断結果 → 会計
コレらが1時間以内で済んだ。まぢか。
むしろ、そのあと外の処方薬局で薬もらう方が時間食ったような。(※20分程度
話が前後するけど
今回、MRIまで受ける事になるとは想定してなかった。
初めてなんですけどワタシ…(照
何の下準備もしてないんですけどワタシ…(照
レントゲンは想定してたんで、カーディガンの下はノースリーブのボタン無しトップスで、下着もニットのブラトップ。
おかげでカーディガンを脱ぐだけで良く、その上から検査着をはおった。
スリッパに履き替え、靴と衣類と荷物はカゴの中 → ロッカーへ。そしてその鍵は検査員さんへ。(意味なくね?ww
順番で前の初老の女性が終わり、ほぼすぐに中へ。
頭に薄地のネットをかぶせられ、音がすごいんでとヘッドホンをはめられのの。
寝台に腰かけるよう言われ、そこから90°回って仰臥。
が、位置が下すぎたようで 「あと15cm上にズレてくれますか」と言われ、上体を起こそうとしたら 「あ、寝たままで上にずり上がって」。
ちょい待て。
わし、左腕全体が痛いんぢゃ。
右腕だけでずり上がるのは困難なんですけど~~
「あと5cm!」
ひぃぃ
そしてようやく定位置に辿りつき、
左ひじを少し曲げてお腹の上に保定&ひじの下にタオルを敷かれた。
「痛くないですかー」
「う、ちょっと痛いです‥‥」
「えっ」「どの辺が?!」「ご自分でラクなようにして下さい!」
なぜか3人もいる検査員のみなさんが口々に
少し動かして 「これでいいです」と言ったけど、実はまだ痛い‥‥
んで気づかぬ間に右手にエアーポンプのような物体を握らされていて
「耐えられなかったら押してください」。
MRIは、閉所恐怖症の人とか音に過敏な人にとっては拷問に近いらしいんで、自分の場合はどうなんだろうなと少し不安だった。
非常ブザーなんざ握らされたらそれだけで慄然としてまう
「絶対に動かさないで下さいね」と言われ、送り出された。
早々に緊張して目をつむっていたので、体験者の方々の「サンダーバードみたいだった」という入坑時を味わうことが出来なかった。
あ、目を開けていいんだよな、と気づいたのは3分ほど経ってから。
それまでは、「やっぱ腕この姿勢ではちょい痛い…終わりまで耐えられるかな」「動かすなと言われたら動かしたくなるのが人情なのだが」「お腹の上に手を置かれたけどワタシ腹式呼吸だから手が上下しちまうのだが緊張で呼吸が荒いんでいつもの5倍上下してるんだけど大丈夫か」という事に神経が行ってて、視界のことなんざ皆目。(シャレ?
で、気づいて目を開けてみた。
ああ… 白い。
こんな白い世界とは思わなかった。暗いとばかり。(だから目をつむってた)
グレーがかった白いプラスチック?が目前に半円状にあった。中央は少し濃いめのグレーの帯線。
その上下も見回したかったけど、肩が動くとマズイのでやっぱり目を閉じておく事にした。
音は、ブーブーブーブー! ヴェンヴェンヴェンヴェン! みたいな音が左上から聴こえたり、間を開けて真上から聞こえてたり。音の調子もその都度で少し変わったり。
ヘッドホンが無かったらさぞかし大音量なのだろう。
けど、こんなに科学が進んでるのに、まだその音無くちゃダメなの? 無いやつ作れない? って事をしばし考えてた。
5分くらいかなーと思ってたら、多分15分ほど。
音が途切れてしばらく間が空いたので、「お?終わったのかな? いやいや期待しちゃいけない」とか思ってたらドアが開く音がして検査員たちがドヤドヤ入ってきたので終了を確信した。
MRIは3階だったがレントゲンは1階で、ややヘロヘロしながら1階へのエレベーターに乗った。
持ち回りの書類ファイルを差し出すともう即レントゲン。
ちょ、ちょっと休ませて~~
と思ったけど、ニーちゃんが手際よくて2姿勢をパパッと撮ってくれてポイッと解放。
あとは、再び診察室で
ソレらを参照した医者から死刑宣告が出るのを待つのみ。
それまで少し時間かかるだろう、と初トイレ。
憔悴した顔面にパウダーはたいたり 洗面台がびしょびしょだったので拭いたりしてて のんびり過ごしてから戻ったら、もう順番が迫ってて焦った~
モニターボードに私の「15」番が灯り、
昨日入れたばかりのボイス録音アプリの赤丸をぽちってから04号室へ入室。
「ちょっとお水が溜まってるんですけどね、炎症で」
「どこかに炎症の原因はあるんですけど、レントゲンでも異常ないし、収縮して肩が上がる腱板っていうのがお年を召すと切れたり何だりするんですけど、決してそういう画像で捉えられるような異常は一切ないです」
「ちょっと水が溜まってる程度。ちょっと、ちょっとだけ」
「永年使ってる肩にいろんな所でほころびが生じるのが炎症で四十肩・五十肩で、たいてい3ヶ月ぐらい続きます。3ヶ月以上も続くと拘縮(こうしゅく)が起きてきますので、ストレッチ運動を始めた方が良いですね」
「ちょっともう、待つしかないですよ」
じゃあ、揉んだり動かしたりしても差し支えないんですね?
「かえってやっとかないと拘縮って言って曲がんなくなっちゃいますから。固まっちゃって」
あー良かった
自己流で勝手にやってたけど逆に悪化させてるんでは…って心配だったんで、そうじゃないなら良かった良かった。
「痛み止め出しますか?」
あ~~ じゃあ少し♪
「朝晩2回・14日分出しますけど、別に朝晩飲まなくていいですよ。頓服だと思って。シップは?」
それはイイです。(臭うし煩わしいのでキライ)
「じゃあ、そういう事で。決してヘンな病気はないので」
あざーした──
(礼
というわけで、
痛みスタートの1ヶ月に下した自己診断が正しかったわけで‥‥
平たい話が「〇十肩」。
実は2年前から乳がんの疑いを抱えておりまして
ソレが左腕に転移しての骨肉種なのでは~~とか
筋肉がイカレてもう駄目になって切断するのでは~~とか
いくらでもネガティブ方面へ考えようがあったので
決して〇十肩もナメられたもんじゃないとは思うけど、どうやら切断しなくて良さげとの事に安堵 =3
家族以外には、これまで左腕の痛みのことは伏せていたけども
外で上着をこまめに脱着する機会が増えてくるにあたり その際の不自然な苦痛顔&不可思議な動き(痛んだ後にヒジを大きく回すと楽になるので…)に慣れてもらわんとイカンので、あちこち一気に左腕事情を話して回ってるわけでした。
私とお出かけした人は、上着の脱ぎ着のお手伝いよろぴこ
そして不用意に左腕をつかんで引っ張らないように。
反射的に はったおす☆